私の生きてきた人生で、出会った大人の過半数が反面教師だった。
学校や市役所、警察、公務員のほとんどが反面教師で、たった一人の家族の母も、精神障害で過干渉。
今の私を育ててくれたのは、紛れもなく、狂う前の母と、何十、何百と読み漁った小説。
小学校の時は、お金が無くて、服が買えなかったり、ご飯が食べられない日が続いて、お風呂にも入ってなかったし、歯も磨いていなかった。
当然、いじめられたし、先生にも服を着替えて風呂に入るように言われた。
突然、祖母が母と私を引き離した。
祖母の家では、水が飲めない時もあれば、眠らせてもらえないまま、小学校に通う日もあった。殴られる日もあったし、一緒に住んでいた叔母には、「ブタ」と呼ばれていた。
小学4年生から、睡眠障害になった。
3日の仮死状態から目覚めた途端、暴飲暴食をして、また、3日間の仮死状態。
その繰り返しが、2年間続いた。
6年生の卒業式は、ギリギリ、出れた。
中学1年になって、秋まで頑張って、遅刻もしなかったし、皆勤賞だった。
3年間引きこもっていた小学校の勉強がわからなくて、先生にも生徒にも、馬鹿にされていた。
中学2年で、外に出ることが怖くなった。
1年の時、同じ部活の女の子に呼び出されて、友だち2人と、その子の家に行った。
4人で何をするのかと思ったら、リンチされた。
先生に、私が謝るように言われた。
先輩に、サッカーボールをぶつけられた。
また、私が謝った。
ストレスで、どんどんどんどん太っていった。
身長170センチ。
体重130キロ。
中学3年、別室登校を始めて、第一志望の高校を断念させられた。
道端で男子高校生に声をかけられて、襲われそうになって、逃げた。
高校生になって、中学からの解放感と、バイトと部活、ボランティアにのめり込んで、痩せた。
高校1年の1年間で、7人の男性と付き合った。
初めての彼氏ができる前にレイプされた。
レイプされてから、自分の体がどうでもよくなって、売春をはじめた。
ネットは使ったことがない。全部、男から声をかけてきた。
連絡先を交換して、風俗なんかの何倍も安く、相手の言い値で体を売った。
最寄り駅に来ている移動販売の店員と仲よくなった。
連絡先交換して、何回か店を出しに来てるところに制服を借りて、呼び込みのお手伝いをするようになった。
移動販売の車の中で、性的なことを強要された。
膣に物を入れながら接客をさせられたり、販売カーがマジックミラーになっていて、その中でいろんなことをさせられた。
嫌がるといつも、髪の毛を引っ張って、頭を床に押し付けられて、唾をのまされた。
私は、その人の奴隷になることを約束させられて、その後、連絡先を消して、繋がりを絶った。
彼はまだ移動販売の店員として、私の友だちや学校の先生と、SNSでいまだに繋がってる。
それが、とても怖い。
援交のことはもちろん、男と付き合ったことがあるって、親には言っていないし、親は何も知らない。
親の精神障害がピークになって、私は、子ども家庭センターに相談して、児相経由で児童養護施設に一時保護してもらった。
高校1年の頃の、一番の衝撃は、レイプを相談した中学の同級生でありバイト仲間であった友だちに、ビッチだと言いふらされて、汚いと言われて、縁を切られたことだった。
家にも帰れなくて病院に行けない日が続いて、全ての歯が虫歯になった。
犬歯の2個後ろの歯が取れた。
ご飯は全部、前歯と犬歯で噛んでる。
高校2年、たくさんできた学校の友だち、仲よくしていた先生たちを、信用できなくなった。
誰もが、馬鹿だ、ビッチだ、汚い、性病持ちだとか、嫌なことばかりを言うし、誰にも嫌われてるんだと思うようになった。
家に帰ることが嫌で、ロッカーに教科書を預けて、援交しながら学校に通っていた。
男だけど、部活の先輩に相談したら、黙っている代わりに胸を揉ませろと言われた。
それまでの援交相手のほとんどが、教師か大学生だった。私の夢は、正しい教師になること。
援交を続ける生活をやめたくて、しんどくなって、また一時保護してもらった。
今度は一時保護所で、畳二畳分のところに3週間いた。
職員さんに、人生をドブに捨てたかのように言われて、キレた。
一時保護所から出て、「次に援交したら親に言う」と児相のワーカーに言われた。
その後、大学生に5000円で買われた。
友だちに、怒られた。
そこでやっと、援交やめた。
奴隷も、ペットも、メス豚も、やめた。
高校2年、今に至る。
来月から受験生。