うちが、援助交際をはじめたのは中学2年生の時だった。きっかけは何やろかも思い出せんぐらい些細なことだったと思う。そしてこの時から家出をし始めた。
初めて自分の体をお金に変えた日のことは、今でも鮮明に覚えてる。一番に思ったのは、こんな簡単にお金ってもらえるんだってこと。ただ気持ちいい振りをすればいい。ただ我慢すればいい。楽して稼げることを知った瞬間だった。
でも、本音はお金目的なんかじゃなかった。寂しさを埋めてほしい。うちが生きてることを証明したい。本当はそんなことを思ってた。
何度も何度も、援助交際をやめようと思ったけどやめれなかった。一度しか会わないし、その場だけの関係。そういうふうに割り切ってたからこそ、何でも話せた。自分より長く人生を生きてる人から言われる言葉はすごく胸に響いた。体が目的でも、嬉しかった。でも、罪悪感は増えた。
いつも何かにおびえてた。周りの目が気になった。見られてるんじゃないのかって。周りをキョロキョロしてしまうのが止まらなかった。今でもその癖は残っているけど。
援助交際を通してうちは、たくさんのものを失ったけど、それと引き換えに得たこともあった。少年院まで行ってしまったけど、少年院で過ごした日々はうちにとって青春でもあり、足元にある幸せに気付かさせてもらえました。
会いたい人にすぐ会えること。
みんなで協力することの楽しさ。
社会ではどーしようもないうちじゃったけど、人の絆の強さを肌で感じることができた。
非行に走ってたくさんの人を傷付けてしまったり、たくさんの人を泣かしてしまいました。それでも見捨てずに傍におってくれた友達、その他私を待っててくれた人がいたからこそ更生という道を今、遠回りしながらも進んでます。
同性との関係が上手くいかなくなって、異性に逃げてしまったことから始まった援助交際。そういうイメージがあるけど、そうじゃない人もいる。一人一人の気持ちに耳を傾けてもらえたら、うちは、嬉しいです。
最近も過去のフラッシュバックに襲われ、自分を見失ってもーいやだ、もー疲れた、そんなことばっかを言い続けてた。援助交際をしてきた過去、家出を繰り返してきた過去、流産をしてきた過去、まだまだ沢山の思い出したくない過去。過去に縛られて、「どーせ」って言葉ですましてきて何もかも諦めていた。親に愛想つかれ、名前を名のるなとまで言われ、誰も信じれなくて親から逃げる日々が苦しかった。
いつまで追われるのだろうか。
いつまで監視されるのだろうか。
親の育て方が異常なのは分かってた。けど、これがうちの親だと思い誤魔化してた。ご飯中は私語禁止、そして英語の歌が流れてた。喋ることはほぼ禁止じゃから、紙に書いて名前と日付と印鑑的なの押してた。
言ったとか言わないとかで揉めるのが嫌だったから、と親は言ってた。
何かあれば過去のことを言われ、「言える立場じゃない」って怒られ、「誰のおかげで」って「うちのために」って言われ続けたことで、そんな心配してくれてるんだって感覚になったけど、結局は洗脳だったんやろなって。
親が泣いてるのを見たことないし、影で泣いてるなんて知った時、我慢さしてるって思って、うちも親を苦しめてるという罪悪感が増えた。
学校に行かなければ自由はないと言われて、そしてご飯も出てこない、そんな生活だった。何かあれば警察に電話された。日常的に、お決まりのように殴られ蹴られてきた。これが当たり前だと思ってた。
親に愛されてるって何だろと、今も分からない。
異常な監視が今も続いている。そんな家庭で育った私は、彼氏ができても上手く愛せなかった。好きだけど好きって感情が分からなかった。だから振り回し、違う男の人の所に行って、そんな繰り返しじゃった。
クズなんはわかってます。最低で、人の気持ち弄んでたんやと。それでも離れんでおってくれた友達、大切な人に感謝をしてます。本気で叱ってくれて、本気で泣いてくれて、本気でうちと向き合ってきてくれました。けど、私には体しかないって考えは抜けなかった。
それでも私の中身を好きになってくれた人、私の笑顔を好きになってくれた人――。私は今、大事な友達に囲まれて生活でき幸せです。そして私をサポートしてくれてる方々、私のこれからを信じてくれてありがとうございます。
何人もの大事な友達の死も経験し、死ぬことの儚(はかな)さを知りました。あの子達が最後、笑顔で「この人生でよかった」って言ってたよう、私もそう言って終えられる人生でありたい。
今、私は環境も変え、新たな場所でのSTARTを切りました。今も親の監視は続き、支配からもまだ抜けられてません。まだまだ安定した生活ではないけれど、私の人生はやっとここからです。何かもリセットしてきて、ここにいます。
たくさん後悔して泣いてきたけど、もう後悔はしたくない。援助交際、家出、流産、仲間の死、高校中退など、18年で私は私なりにたくさん勉強さしてもらいました。
無理に家に帰されるのが嫌でした。補導されれば家や親元に返され、保護してくれる団体も親元に返すと思っていました。だから怖かったし、見たら逃げてました。家や親元が嫌で外の世界にいてました。その繰り返しだったと、当時を振り返ると思います。
家以外に帰れる場所を作ってほしい。でも警察官の中には親が悪いってちゃんとわかってくれてた人がいて、親に保護官をつけたほうがいいと言ってくれた人に本当に救われました。
最後に、Colabo(コラボ)みたいな場所が増えてほしい。私はコラボに来て、こんな笑い合えたり共感できたりできる仲間と出会え、生きててよかったと思いました。コラボに来てなかったら私は元の生活に戻ってただろうし、笑ったりももうなかったと思うぐらいです。
当たり前のように帰れる地元から逃げてるのは、情けないけど、うちがこれから生きるために自分らしくいるためにした選択。大きな一歩じゃったけど、踏み出しことには後悔はありません。