怒りに震えつつ3年ぶりの辺野古へ!
2022年10月、「2ちゃんねる」開設者のひろゆき(西村博之)氏が、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート(以下、辺野古ゲート)前を訪れ、抗議日数を示した看板の隣でピースサインをした写真をTwitterに投稿。訪問時に座り込みで新基地建設に抗議する人が誰もいなかったことから、〈座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?〉〈『座り込み』その場に座り込んで動かないこと。目的をとげるために座って動かない。知らない間に辞書の意味変わりました?〉などとツイートした。
辺野古の抗議行動は14年7月から始まり、工事車両が往来する時間に合わせて1日3回(平日)展開されているが、ひろゆき氏は抗議行動を続ける沖縄県民に「座り込みの意味を理解していない」などとも発言したという(「琉球新報」22年10月5日)。
今回のひろゆき氏の辺野古訪問には、インターネット報道番組「ABEMA Prime」(ABEMA)の撮影班が同行しており、その数日後に辺野古での座り込み抗議をテーマに番組が放送された。その番組内でも終始ひろゆき氏は座り込みの運動を侮蔑し、抗議日数を示した看板について「汚い文字」と評した。さらに同日、自身のYouTube配信では「沖縄の人って文法通りしゃべれない」「きれいな日本語にならない人の方が多い」などと言い放ち、「もともと普天間の基地があった。周りに住宅を造っちゃった」「もともと何にもなかった」と事実誤認の発言も行った(「沖縄タイムス+プラス」2022年10月12日)。
こうした発言に対して私は怒りをおぼえ、「抗議活動を続ける人々と共にありたい」「共に行動したい」と思い、1週間後の10月11日に辺野古を訪れた。そうしてコロナ禍で3年ぶりとなってしまったが、6回目の座り込み抗議に参加した。しかし辺野古ゲート前での座り込みは、米軍基地内から出てきた機動隊によって強制排除された。
国は私たちの税金を使って何を守っているのか? なぜ機動隊が米軍側から出てきて私たちを排除するのか? なぜ辺野古に基地を作ろうとしているのか? なぜ米軍基地のほとんどが沖縄にあるのか? 基地のせいで沖縄の人々の暮らしや命、尊厳、人権がどれだけ奪われてきたか? どれだけの女性や子どもがレイプされ殺害されているか? 沖縄の民意がどれだけ踏みにじられてきたか? それが続いているのはなぜか? そこに私たち一人ひとりの責任はないのか――?
基地があることによって起き続けている人権侵害やさまざまな暴力、その背景にある米軍による支配について、私たちは考えなければならない。そうした現実の問題から目を背けるために行われる「座り込みの定義は?」などという「議論」に乗る必要はないし、そんなものは議論ではないのだ。
沖縄県民は4度の知事選でも、県民投票でも、「辺野古に新基地はいらない」と表明している。それにもかかわらず、政府は沖縄県民の民意を無視した強行を続けており、住民は地道な抗議行動を続けている。
抗議の声を上げる人たちは「過激」だとレッテルを貼られることがよくあるが、機動隊による暴力で抗議行動中にけがや骨折をした人は少なくない。私が参加した日は、新型コロナの影響もあって抗議行動も強制排除も互いに接触を避けて行われていたが、暴力で市民の声を封じようとし続けてきたのは日本政府なのだ。
地道な抗議を続ける沖縄の市民たち
辺野古ではゲート前だけでなく、埋立用土砂の搬出現場となっている安和(あわ)桟橋や塩川港にも、工事車両1台1台を牛歩戦術で止めて抵抗を続ける人々がいる。さまざまなところで基地建設阻止のための行動をしなければならず、力を分散させなくてはならない状況となっている。新型コロナの影響もある中、こちらは少人数で行動を続けていて、私が訪ねた時も2~3人ずつで活動していた。私も短い時間ながら、牛歩での抗議行動に参加した。機動隊からは「一般の方の迷惑になっています~。早く歩いてください」と何度も警告され、抗議者は一般市民でないかのように扱われていた。
何もしなければ1日に800台のトラックが土砂を積んで新基地の建設現場に行ってしまうところ、牛歩の抗議行動によって500台に抑え込めていると伺った。こちらの現場では、土砂を積んだトラックの数をカウントする役割の人もいるという。そうした地道な活動によって、現状を把握し、粘り強く抗議されていることに頭が下がる思いだ。一人ひとりの力は決して小さくないことを実感し、もっとたくさんの人が関心を寄せて共に行動すれば、さらなる力になると確信した。
辺野古の大浦湾は、日本で唯一「ホープスポット」(世界的海洋学者らで作るNGOが認定した保護海域)にも選ばれている。辺野古新基地建設問題と聞くと、政府の強硬な姿勢に「もう手遅れなのではないか」と思う人もいるかもしれないが、大浦湾の工事はまだ始まっておらず、工事全体の進捗を見ても11%程度。それが沖縄の人々の地道な抗議行動の成果であることは明らかだ。
抗議行動をする市民にも、それぞれの生活があり仕事がある。やりたくてやっている人なんていないだろう。それでも命や暮らしに関わる問題だから、声を上げないわけにはいかない。そのために時間を作って、抗議し続けているのだ。沖縄の基地問題は、沖縄の人々が引き起こした問題ではない。本土に暮らす私たちが、政治が、沖縄に押し付けてきた問題だ。
基地問題は女性の人権問題にも関わる
私が沖縄の基地問題に反対の声を上げるのは、当地で少女や成人女性を狙った性暴力が絶えないことにも関係しているから、という理由もある。私はColabo(コラボ)の活動を通じて全国の女の子たちと関わっているが、特に沖縄は少女の性暴力被害が多い地域だ。女性の貧困が深刻なこともあって、性が売り買いされることが常態化しており、少女たちの間でも性売買に関わり、金銭がらみで性暴力に巻き込まれることが身近になっているのだ。
沖縄の女性たちは戦前も貧しさから遊郭に売られるなどしてきたが、さらに戦争によって日本軍の慰安婦となったり、占領軍に売られたりもした。そうして米軍基地が作られ、駐留する兵士が沖縄の女性をレイプして罪を問われても、逃げられるような状況の中で今日まで来てしまった。