妹とは両親との関係性も違い、面会交流について違う選択をしていたので、姉妹で愚痴や悩みを共有することもなかった。私が両親と自分の関係性について、「いい距離感がつかめるようになってきた」と思えるようになったのは22歳の時、私が家を出て、母と物理的な距離をとるようになってからだった。
あの時あればよかったなと思うもの
あの時、「父と会うのがだるい。会いたいわけでも会いたくないわけでもないが、いろいろ面倒くさい」とか「父に会った後の母が怖い」とか、「そんな母親の気持ちもわかるけどね」とか、「父に養育費に金がかかると言われてうざかった」「父に会う時、実家に届いた父宛ての郵便物を渡すことや伝言を頼むなど、都合のいい伝書バトのように使わないでほしい」とか、そういう愚痴を話せる人や、共感してくれる人がいれば、少しは楽だったのではないかと思う。
親が離婚した時、自分にどんな権利や選択肢があるかを教えてくれたり、各選択肢のメリットやデメリットを一緒に考えてくれたり、自分の意思や選択が尊重される環境づくりをサポートしてくれる大人がいればよかったと思う。親との利害関係がなく、私の話を聞いてくれる大人がいれば、少しは楽だったかもしれないと思う。
それでも、家で一緒に暮らすのは母なので、母の目は気にせざるを得なかったとは思うけれど、そんなことも理解して寄り添ってくれる人がいたらよかったなと思う。泣きたい時に、誰の目も気にせず泣ける場所があって、背中をさすってくれる人がいたらよかっただろうなと思う。私は高校中退後に、幸運にもそういう大人と出会えたことで「自分の人生を歩んでいいんだ」と思えるようになった。
当時の私は、両親が離婚に至るまでもめている間に、居心地の悪かった家を飛び出して夜の街をさまよい、親との関係も悪化し、大人に対して不信感を持っていた。なので子どもの気持ちに寄り添い、子どもの意見を聞く役割の大人と出会っていても心を開かなかった可能性も高いが、そういうことが子どもの権利として保障されるような体制づくりが必要だと思う。
離婚した親との面会は、子どもに様々な気を使わせる。別居親に会いたい時も、会いたくない時もあるし、同居親との関係や進路に悩むなどして助けを求めたい時もある。気分やスケジュールの都合もある。その時々の両親との関係性にもよる。会いたいと思って会っても、悲しい思いをすることもある。そのことを誰にも話せず、心の中に抱えている子どもも少なくない。それなのにこの法案では、そうした子どもの様々な事情や、成長の過程によって生じる変化などが考慮されていないと感じる。そんな中、面会交流を義務付ければ、子どもへの負担が増えないか心配である。
面会交流が義務になると、その義務を守るために、同居親が子どもの意向を顧みず別居親に会いに行くことを強要する可能性も出てくる。「会いたいわけでも、会いたくないわけでもない父親」に私が年に数回会いに行っていたのも、情があったからであり、それが「義務」として押し付けられていたら、「会いたくない」という気持ちを強くし、「会ってよかった」と思える回数は減っていたかもしれないなと思う。
子どもの意思を尊重して
家庭によって事情は様々であるからこそ、その時々の状況や子どもの気持ちに応じて、面会交流ができるような制度や環境を整えるべきだと思う。しかしこの法案には、別居親が子どもに会う権利ばかりが盛り込まれ、子どもがそれを選択できる権利や、子どもへのケアについての視点が欠けている。
親子断絶防止法 全国連絡会のホームページに、子どもの意見表明について書かれたページがある。「子どもの意見を尊重しよう」ということが書かれているのかと思ったら、まったくの逆で驚いた。
「法案への提言」として紹介されているある弁護士の文章には、「あいたいと言えない子ども達のために大人がするべきこと」として、「面会交流にあたって、『子どもの意見を尊重する』ことに反対します」とある。親の目を気にするなどして、「会いたくない」と言えない子どももいるはずだが、そういう子どもについては想定していないようだ。
この弁護士は、「『子どもの意見を優先して決めるべきだ』という意見は、子どもに責任を押し付けるものであり、強い憤りを覚える。中学生以下の子どもの意見は取り上げてはならない」と書いている。その理由として、子どもが同居親の目を気にして「真意を語らない場合」があることや、虐待があったと主張された事案で面会交流を実施したところ、「父親の顔を見たとたん笑顔で走ってきた」ケースがあったことなどを理由に、「子どもが自発的に面会の拒否をしたとしても、真意で拒否しているわけではないことも多くあり、面会交流について子どもに意見を聞く場合、子どもの自由な意思が表明されているとは言い難い」としている。
さらに、子どもは同居親の感情に共感するため、「近くにいる親の感情に振り回され、自分が別居親との面会を拒否することによって別居親の感情を害するということまでなかなか気が回らないことが実情」と述べている。「子どもの健全な成長や最善の利益が実現されること」を目的とした法案なのに、問題は「別居親の感情を害すること」にあるかのような、別居親目線の書き方である。そして、「別居親と会いたくないという言葉を真に受けないことも、大人の責任です。むしろ、別居親と会いたくないという言葉を発する子どもこそ、別居親との面会が必要な子どもだというべきなのです」と決め付けている。
この文章を読んで、私はぞっとした。確かに、子どもが本音を話せないこともある。私も父にひどいことをされて「もう二度と会いたくない」と思った後に、会って話すことができ、嬉しく思ったこともあるように、気持ちが揺れることもある。だからといって自分の意思をまったく聞かれることなく、大人ばかりで物事が決められていくことは、子どもの権利を奪うことにつながるのではないか。
年齢など、当人の状況によって自分の意思表明が難しい場合もあるが、ある程度の年齢に達した子どもの意見は考慮すべきだと私は思う。子どもが本音を話せない可能性があるのなら、話せる環境をつくることや、そこに同居親の影響を受けていることを考慮して、意見を反映することが必要なのではないだろうか。意見を求められることによる子どもへの負担を言うのなら、それを軽減できるような専門知識を持ったスタッフによる聞き取りを行ったり、聞き取り後のケアなどを丁寧にやっていけばよいのではないか。そういう配慮も含めて子どもの意見を聞くことは、大人の責任ではないか。
別居や離婚のタイミングだけではなく、その後も継続して大人が子どもに寄り添い、会うか会わないかの選択を子ども自身が行えて、その選択が尊重されるような環境を整えられる社会づくり、両親の離婚によって生じるストレスや不安に対するケアについて、十分に検討することが先だと思う。親の離婚を経験した子どもが「大人の都合に振り回されている」と感じることのないように、義務ではなく自分の意思で面会交流ができるようなサポートをしてほしいと思う。