表現の自由も、選挙制度も、情報公開制度も民主主義の根幹をなす市民の大切な権利である。しかし、こうした制度が差別や暴力の煽動、そして金儲けに利用されている。それを放置した結果、町じゅうで人の目に触れ、小学校の前などにも貼られて子どもたちも目にする選挙ポスターが、そして選挙そのものが、性売買業者らも含めた金儲けのために堂々と使われる事態になっている。
こうした人々を批判することから逃げ、彼らを持ち上げたメディアの責任も大きい。女性の裸同然のポスターを選挙掲示板に貼った河合候補について、朝日新聞は「京大卒ジョーカー、挫折の先の自己実現 ウケ狙いから当選への分析」(23年5月30日)という記事で、炎上商法で市議にのぼり詰めたと賞賛した。この記事は「虐待や性被害などにあった女性を支援する一般社団法人『Colabo(コラボ)』の活動の場で差別的な発言をしていたなどの指摘が複数寄せられました」「確認したところ、差別的な発言があり」として、朝日新聞がのちに削除している。
河合候補が警視庁から警告を受けた後、ポスターをはがすのを手伝った人物をTBSの「サンデーモーニング」が詐欺事件に詳しい人物として専門家であるかのように取り上げたこともあった。
守りたいのは「表現の自由」ではなく「性加害の自由」
河合候補は、ポスターに関するマスコミ取材に対して「女性の性表現の自由について取り上げたく、今回のポスターになった」「性表現は本来隠すような汚らしいものではない。それを不適切であると考えてしまう社会の道徳を変えるべきだ」と話している(神奈川新聞「時代の正体 ミソジニー考 都知事選ポスター問題 性的虐待等しい愚行」2024年6月26日)。
これは、女性に対する性搾取を正当化しようとする者たちによって繰り返されてきた言説だ。実際に彼らが守ろうとしているのは表現の自由ではなく、女性を性的に消費する権利である。
今回、河合候補はSNSで掲示板にポスターを貼る動画を公開した(現在は削除)。それは、裸で被写体となった女性にポスターを貼らせるものだった。その様子を撮影し、女性が自ら行ったものとして演出し、あたかも自身が主体でないかのように印象づけている。女性を矢面に立たせることで、自ら望んでやっていること、自由意思による選択なのだと見せかけ、女性に対する差別や暴力という本質を覆い隠そうとするやり方は今までも繰り返されてきた。誰がそれらを企画し、お金を出しているのか知りたいものである。
これ以上この社会を壊さないためには、私たち一人ひとりが人権感覚を養い、差別や暴力の構造を見つめ、議論し、自分ごととして社会に、政治に関わっていくことが必要だ。
性売買の実態も知ってほしい。Colaboがこれだけ攻撃されるのは、性売買の中にいた当事者たちと共に、現場の実態について、搾取の構造について声を上げ続けているからなのだ。嫌がらせを繰り返す人たちは、性売買業者とつながり、着実に行動を積み重ねている。背後では少女や女性が性的にモノとして扱われることによって儲かる人たち、さまざまな利益を得てきた人たちが、性搾取の構造を崩すまいと思想を超えて連帯している。
権力で弱者を押し潰し、自分たちに従わない者を力でねじ伏せてきた都政は終わりにしなければならない。そして、その力を弱い立場に置かれた人々のために使おうとするリーダーになってもらえるよう、これからも声を上げ続けていきたい。