非常時には地域コミュニティでの関係性が避難生活に大きく影響するということも、今回の活動で実感した。女性たちが支え合い、一緒に笑ったり怒ったりする地域では痛みを共有する光景も見られた。しかし関係性が協働的でなかったり、競争的であったりする地域では、物品を持って行っても「我先に」という様子で取り合いになってしまう。そうした地域の避難所では喧嘩も絶えず、若い世代の人はかなり気を遣って高齢者の目を気にして生活している様子だった。
足りない支援の中で被災者の分断も
活動中、「赤ちゃん用の服やガーゼがないか」と声をかけてきた女性がいた。「娘に子どもが生まれたばかりだがガーゼが足りない。おむつはあるけど、服はサイズがすぐに変わるし、洗濯もできないので困っている」とのことだった。すでに震災から1カ月がたち、個別のニーズに対応しなければならない段階がとっくに来ているのに公的支援は乏しく、民間の支援やボランティアも拒む政府や行政の対応が続いている。
今この地域に必要なのは、被災した人たちが安心して過ごせるようにするための圧倒的な支援であり、復旧から復興へ至り「被災者の自立」の名のもとに支援を打ち切るような段階では到底ない。基本的な暮らしの保障や、基盤となる安心感がなければ自立はできないのは、当たり前のことだ。にもかかわらず今回の震災では公助が十分でないだけでなく、混乱や治安を理由に行政が共助さえ拒み、被災者に自助と自己責任を押し付けている。能登では地区ごとに被災状況が異なり、どこも支援が足りないことから、被災者の中でも分断が進んでいる。もっと多くの人や団体を現地に招いて、外から支えるべきである。
もう一つ気になったのは、被災した生徒たちが学校に届いた支援物資を手に、感謝の写真を撮らされているのを目にしたことだ。Colaboにも物品を寄付したいという企業等から「少女たちが受け取っている写真が欲しい」と頼まれることがある。私たちはそういうことをさせたくないので別の形でお礼を伝えているが、この学校では頼まれた通りに写真撮影をしていた。子どもたちも支援に対して感謝の気持ちを持っているかもしれないが、そういうことが続くと感謝を強要されている感じがしたり、いつもみんなに頭を下げないといけないような、申し訳ない気持ちになったりしていく。なので「そういうことはしなくていい」と支援者側が変わる必要がある。
能登では、何度となく頭を下げる方々を見た。「お礼は必要ないです。当たり前のことだから」「こういう時は申し訳ないという気持ちになったりすることもあるだろうけど、そんなふうに思う必要はないから」と伝えると、目に涙をためる方もいた。感謝を求めない、必要ないと示す姿勢が、外から応援する人たちには必要だ。当たり前の日常を手に入れることができない、それが改善されないまま放置され報道もされていない。これからも女性たちとつながり、被災地の現状を見つめ、できることを続けていきたい。