2016年になった。
クリスマスや年末年始、成人式を無事に終えられ、少しほっとしている。虐待を受けていたり、孤独を感じたりしている人の中には、誕生日やクリスマス、年末年始など、世間がお祝いムードになる季節に憂鬱(ゆううつ)な気持ちになりがちだという人は少なくない。私も10代の時、誕生日をお祝いしてくれる人がいるのか、クリスマスや新年を誰と過ごせばいいのかと不安になったり、仲のよさそうな家族を街で見かけるたびに胸がぎゅっと締めつけられたりしていた。
「ママが彼氏を家に連れて来るから、クリスマスは家にいられない」という少女との出会いから、Colabo(コラボ)は毎年クリスマス会を開催している。
長期休暇や土日祝日もつらかった。学校は休み、関係が悪かったり暴力を振るったりしてくる親も仕事が休みで家にいる、街にも人が多くて居場所がない。さらに、多くの相談機関は休みである。私は、年末年始や休日、放課後から夜間の時間帯にこそ、困難を抱えた子ども・若者が児童相談所などに相談できたり、生活保護を申請したりできるよう各機関は開所すべきだと思っている。
年末年始のできごと
Colaboでは、年末年始も事務所とシェルターを開けていた。年末から、少女たちと共に応援者の方に向けた年賀状を作成。作業中、Colaboのシェルターを利用し、今は里親のもとで暮らす少女に「今年はお年玉もらえるんじゃない? 何かほしいものあるの?」と話しかけた。すると「そうなんです! お年玉をもらったらColaboに寄付したいと思ってるんです!」と女の子。
「ありがとう。でも、せっかく自分のお金なんだから、自分のために使って」と返すと、「自分のお金だからいいんじゃないですか。だからこそ寄付したいんですよ」と言ってくれた。まだ中学生の彼女。
私は「その気持ち、すごくうれしい。でも、そう思ってくれるなら、今は自分のため、将来のためにお金を使って。それが私たちにとってもうれしいこと。Colaboを支えたいと思ってくれるなら、お金の面では、夢をかなえて、自分で稼ぐようになってからでいいよ!ありがとう」と伝えた。
「同じように苦しんでいる子はたくさんいる。そういう子のためにも、こういう場所が増えてほしい」と、活動を共にし、物資の仕分けや掃除なども手伝って支えてくれる彼女たちの思いやりと愛に、私はいつも励まされている。
大みそかには、ご支援いただいた里芋、だし、塩などを使って筑前煮とお雑煮を作った。一緒に年越しそばも食べて、日付の変わる頃には、みんなで除夜の鐘をつく。その後初詣もして、甘酒を飲んで、おみくじを引いた。
元旦には、応援者の方に頂いたミニおせちを楽しんだ。地方の少女からも、思いのこもった年賀状が届いたり、クリスマスプレゼントにと送った食料や物品で料理をして過ごしたという連絡をもらったりした。応援者の方々からの年賀状のお返事も届き、みんなでうれしく読んだ。
来年、再来年の年末年始も「一人じゃない、こうやって過ごせばいいんだ大丈夫」と思ってもらえるよう、こういう時間をこれからも大切に積み重ねていきたい。
生き抜いてきてよかったと思える一日を
今月は、成人式もあった。頼れる家族がいなかったり、経済的な理由で振袖を用意できないことから、この日をつらい気持ちで迎える人は少なくないだろう。Colaboとつながる女の子の中にも、成人を迎えた人が数人。応援者の方からご寄付いただいた振り袖を着て、お祝いをした。
早朝からボランティアの方が張り切ってやってきて、着付けをしてくれた。お菓子やシャンパン、手袋まで女の子へのお祝いにとプレゼントしてくださった。女の子に「今日はあなたが主役なんだから!」と声をかけてくれていた。
一人の娘のために、何を贈ろうか考えたり、朝早くから準備してくれたり、寝坊したら起こしてくれたり、そんな存在がいることや、「素敵だね!」と一緒に成人を喜んで、写真を撮ってくれる人がいることが当たり前ではない成人は、たくさんいるだろう。
振り袖を着た女の子は、「今日まで生きてこれると思わなかった。こんな素敵な振り袖を着られるなんて思ってなかった。幸せだなあ」とつぶやいていた。初めての着物で苦しかったはずだが、彼女は朝から夜までずっと振り袖を着て過ごした。成人の日を喜べず、「ここまで生きてしまった」と後悔したり、苦しくつらい想いで過ごす人がいること、「生き抜いてきてよかった」と思えることに感謝する成人がいることを知ってほしい。
血縁だけが家族じゃない
振り袖をご寄付くださった方の手紙には、「母に買ってもらった着物です。いつか子どもができたらと思っていましたが、機会がありませんでした。血のつながる娘はいませんが、お嬢様に着ていただければ母も私もうれしいです。Colaboの女の子たちとはいつもつながっている気持ちでいます」とあった。私も、出会う少女たちに、日ごろから「血縁だけが家族じゃない」と伝えている。
日本社会では、制度の中で血縁に縛られることが多く、家族に頼れない理由や事情をさまざまな場面で説明しなければならない。日常生活でも、かぜをひいた時に病院で「ご家族に看病してもらってね」と言われたり、「ひとり暮らししてるってことは、仕送り?」「親は心配しないの?」と当たり前のように聞かれるなどし、虐待を受けるなどしてきた女の子たちはそのたびに苦しんでいる。
今回、寄付者の言葉にある成人は「ほんとに血のつながりじゃないですね。娘のように想いをはせてくれる人がどこかにいてくれることがうれしい」と言っていた。
成人式の前、彼女が振り袖を試着し選ぶ様子を、来年以降、成人を迎える少女たちが見ていた。「みんなも数年後着ようね~! 楽しみだね」と話しながら、これから、この振り袖たちが彼女たちに受け継がれるものになっていくのかなとうれしく想像した。
成人式の日には、入院中だったり、暴力を振るわれて顔にあざができたりして振り袖を着られなかった人もいる。いつでも、着たい時に着てもらえたらと思っている。