文化史家シヴェルブシュは、イタリアのファシズム体制、ドイツのナチズム、そしてアメリカのニューディールは、政治体制こそ違えども、恐慌に際して同じ解決法を模索した、と印象的に論じています(*2)。すなわち、いずれもが財政支出を通じて不況を克服しようとし、都市と農村の格差を解消することを目標にしていたのです。
トムは、労働権を求める運動をしていた親友が殺されたことをきっかけとして、労働運動に身を投じることを決意します。「何が誤りかも分かってくる。それを正す方法も」。そして、このトムの言葉の通り、第二次世界大戦を経て、工業国では労働者の権利が公式的に認められるとともに、自由貿易を原則とした上でその弊害を是正することで合意し、資本主義の負の効果を抑制するための制度や組織が国際的に作られることになります。政治経済学者シュトレークの卓越した表現によれば、資本主義は戦後、国家を介して民主主義と強制結婚をさせられたのでした(*3)。
『怒りの葡萄』は、労働と家族愛、そして貧困の中での絶望と希望がどのように生まれるのかについての物語でもあります。トムの家族が旅をする途中、食物を調達しようと、ダイナーに立ち寄るシーンがあります。パンを10セント分だけ売ってくれないかと懇願する叔父に、うちはサンドイッチしか売っていないよと女性店員はにべもなく断りますが、店主はパンを売るよう、彼女に言い渡します。2人の子どもたちは、キャッシャーの前で売っていたキャンディに興味深々、それを察した叔父が値段を尋ねると、店員は、本当は1本5セントのキャンディを、2本で1セントよ、と言って値引きして渡します。そして、そのやり取りを見ていたトラック運転手たちは、会計時に、釣りはいらないよ、といって食事の代金を大目に払って店を後にします。このシーンには、単なる商品と貨幣の交換に留まらない、人と人との間の互酬関係があります。同じような構図は、トムの家族がキャンプで子どもたちに食事を与える場面でも描かれます。
批評家の柄谷行人は、人間社会における交換様式は、互酬、略取・再分配、商品交換の三つしか存在しない、と指摘します(*4)。この3つは、それぞれ社会、国家、市場の果たす役割に対応しています。
絶望的な状況を描く中でも、『怒りの葡萄』が希望をつむぐことができているのは、家族やその他の人々との間の互酬関係が描かれているためでしょう。「(私たち民衆は)永遠に生きるのよ」――このトムの母親の言葉のように、登場人物の詩人のような台詞がたくさん出て来ることとも関係しているかもしれません。
『マネー・ショート』――カジノ化した資本主義
時代は打って変わり、金融市場に踊らされる今の資本主義を理解する上で欠かせない作品が『マネー・ショート』(アダム・マッケイ監督、2015年)です。この映画は、投資銀行「リーマン・ブラザーズ」の2008年の破綻をきっかけとした、世界的な金融・経済恐慌「リーマンショック」の構造を、極めて理知的かつスリリングに描き出します。
リーマンショックは、2010年頃から深刻化するヨーロッパのユーロ危機の要因ともなり、IT企業を中心に2000年代から成長を続けてきた先進国経済を一気に冷え込ませました。2009年、世界は戦後初めてのマイナス成長を経験します。日本も雇用情勢が急激に悪化し、2008年末には「年越し派遣村」が日比谷公園に設置されました。今回のコロナ禍のように、政府が初めて国民に直接給付金を支給したのも、この時のことです。
作品は、実在する人物である天才肌の投資家マイケルが、「サブプライムローン」のからくりを見抜き、その下落を予測するところから始まります。リーマンショックの直接的なきっかけとなったサブプライムローンとは、信用度の低い(借金返済能力がない)人たちに向けた住宅購入用ローンで、住宅バブルに沸いていたアメリカで急速に広まった金融商品でした。問題は、高いリスク商品であるこのローンが、不動産担保証券(MBS)、さらにそれを証券化した債務担保証券(CDO)となって、証券市場で売買されていたことでした。いわば、悪質な債権と良質な債権とを混ぜ合わせて、毒饅頭のように中身が何のか分からないようにして、世界の金融市場にばらまかれたのです。映画では、この複雑な金融商品の仕組みを、2017年にノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者リチャード・セイラーと歌姫セレーナ・ゴメス本人がカジノを舞台に分かりやすく説明しますが、それはまさにカジノ化した資本主義の姿でした。住宅価格の上昇を見込んで、金利変動があってもローンを借り換えることで返済することを前提として返済能力がない人に低金利でローンを組ませ、その債権を他の証券と混ぜて世界に売り飛ばすこの金融商品は、マイケルの言葉を借りれば「詐欺的なシステム」ということになるでしょう。
ただ、アメリカ人の多くにとって、マイホームを持つことは、欠かせないアメリカンドリームの一つでした。先に紹介したシュトレークは、70年代の石油危機以降に低成長を余儀なくされた資本主義は、民間部門を借金漬けにすることで生き延びることになったと主張しています。彼や別の論者はこれを「民営化したケインズ主義」と名付けていますが、ニューディールのように、政府が国債を発行して借金してまでも社会に投資するようなかつてのケインズ主義的な政策が財政赤字によって不可能となったため、個人に貸し付けをすることで、資本主義はまったく別物へと変容していきました。
リーマンショックはまた、先にみた大恐慌時代のニューディール時に制定された「グラス・スティーガル法」が廃止されたことの結果でもありました。この法律は、金融機関が預金業務と投資業務を兼ねるのを禁止するものですが、金融業界からの圧力で99年に廃止され、その結果、銀行がMBSやCDOといった金融デリバティブ商品の売買に乗り出すことを可能にし、金融市場が一気に拡大することになりました。
マイケルは、サブプライムローンによって空前の株価高が下支えされていることを見抜き、邦題のタイトルにもなっている「ショート」によって利益を上げることを目論みます。「ショート」とは、「空売り」のことで、株価が下がることを見越して、株価が高い時に証券会社から証券を借りて売り、株価が下落した際に借りた証券を買い戻すことで利ざやを得る手法です。マイケルや、類似の情報を聞きつけた数人の投資家たちは、数十億ドルにも及ぶ資金を投じて、CDOが焦げ付いた時の保険となるサブプライムローン用のCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)という商品を作り、これを購入します。いわば「逆張り」ですが、これで証券が値下がりした時に、大金を手にすることが可能になるからです。このCDS市場は2007年時点で58兆ドルと、アメリカ一国のGDPの4倍以上の市場規模を誇るまでになっていました。
ここに大きな逆説があります。それは、市場の失敗によって資本主義はさらなる大きな利益を生むことができるようになったことです。やはりサブプライムローン市場の破綻に賭けた冷静な投資家の一人、ベンはこう言います。「俺たちが勝てば、国民は家や仕事や老後資金を失う。失業率(が)1%上昇(すれば)4万人(が)死亡(するんだ)」。金融市場に懐疑的な別の投資家は「人間は経済が破綻するといつも同じ行動に出る。移民や貧困層への攻撃だ」と、リーマンショックが現実のものとなったことを嘆き、トランプ大統領の出現を預言させるかのような言葉を吐きます。世界のグローバルマネーは2012年になって早くもリーマンショック以前の水準を回復しました。
*1
K.ポラニー『[新訳]大転換』野口建彦・栖原学訳、東洋経済新報社、2009年
*2
W.シヴェルブシュ『三つの新体制』小野清美・原田一美訳、名古屋大学出版会、2015年
*3
W.シュトレーク『時間かせぎの資本主義』鈴木直訳、みすず書房、2016年
*4
柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年
*5
J.ミュラー『資本主義の思想史』池田幸弘訳、東洋経済新報社、2018年