リベラルの上滑り――『ザ・スクエア』
「静かなる革命」を成し遂げた戦後世代も親になり、彼らの価値観は社会の常識となっていきます。女性の権利や寛容の精神、環境主義など、70年代以降に新たな常識として定着したものはたくさんあります。もっとも最近では、いわゆる「リベラル」な価値は欺瞞的なものとして批判されることがあります。曰く、物事に反対してばかり、いい恰好してばかり、口ばかりで行動が伴わず、上から目線である等々……ネットなどでよく見られる批判です。
こうした現代のリベラルの「嫌らしさ」を偽悪的に描くのは、カンヌ映画祭のパルムドールを受賞した、スウェーデンのリューベン・オストルンド監督『ザ・スクエア 思いやりの聖域』(2017年)です。
リベラルなインテリである主人公クリスティアンは、権威ある美術館のチーフキュレーターです。彼が美術館で取り組むのは4メートル四方の枠「スクエア」と呼ばれる展示物で、ここは「信頼と思いやりの聖域」であり、その中で「誰もが平等の権利と義務を持つ」ものであるとされます(実際にスウェーデンで展示された企画です)。
この展示物がSNS上の「炎上商法」を用いて話題になったり、クリスティアンが女性に対して不誠実な態度をとったり、スマホを盗んだと疑われた移民系の子どもの抗議にクリスティアンが狼狽したりするなど、様々なエピソードが挿入されて物語は展開していきます。
映画の最大の見せ場は終盤のパーティで、「サル男」が10分間にわたって観客に暴力を振るうシーンでしょう(ちなみに、このサル男を演じているのは『猿の惑星』新シリーズで猿役を演じているテリー・ノタリーです)。本来は、パーティの単なる余興だったのですが、サル男は本当のサルの如くゲストに対して傍若無人に振る舞い、次第に暴力的になっていきます。とうとう耐えきれなくなった招待客は、最後の最後でサル男をリンチにかけます。
この場面については、オストルンド監督は心理学でいう「傍観者効果」を演出したかったのだ、と語っています。人々は目の前で想定外のことが起きた時、周りに人が多ければ多いほど、それに対処しないという傾向を持つことが知られています。例えば満員電車で目の前にお年寄りや障がい者がいたとして、席を譲るべきだと思いつつも、なかなかできないという経験は誰しもが持っているでしょう。他方で傍観者効果は、一旦反転すると「同調行動」となって、集団的な行動へと移り変わります。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という心理です。
この映画では、「スクエア」というリベラルが持つ規範的な理念と、それを展示するクリスティアンや他の登場人物の行動との間の埋めがたい溝――劇中では文字通り不協和音を伴って――が、これでもかと例示されます。クリスティアンは窮地に追いやられると、方便を駆使して、自己保身を図ります。英語の「スクエア」には「つまらない」という意味もありますが、彼が繰り出す言い訳の多くはつまらないものです。他人からの暴力や無関心、敵意などの想定外の出来事を前にした時、口にされる正義や思いやりがいかに脆弱なのか。非常識を前にした時、リベラルの奉じる常識はいかに非力なのかが、劇中を通じてまざまざと見せつけられます。
『1900年』でも、アルフレードが象徴するリベラルの無力さが告発されたことを指摘しました。自らの価値こそが正しいと考える人々は、その価値に反発や違和感を持つ人々のことを理解できないゆえに、逆に非力になります。自ら労働者階級からインテリ知識人へと出世して、二つの異なる世界を知るフランスの社会学者ディディエ・エリボンは、リベラルな人間は、社会で「当たり前」であることがなぜそうなのかについて無意識であるゆえに、自分が住む世界以外に届く言葉を持っていない、と現代流のリベラルを手厳しく批判しています(※1)。
もっとも『ザ・スクエア』のクリスティアンは、離婚した妻との間の娘2人の面倒をみる中で徐々に自分のやるべきことを見つめ直し、自分なりのやり方で、それまで自分が犯した過ちを正そうとします。彼が、なぜ言い訳と自己弁明を止めて、改めて正義を尽くそうと決意したのか、映画では多くは語られません。しかし、その反省は、彼が面倒を見ることになった子どもたちからの視線と無関係ではないでしょう。すなわち、彼は将来世代のために正しい行いをしたい、という使命感と欲求に駆られたことで、自分自身を見直し、新たな一歩を踏み出す勇気を授かったのです。
『アメリカン・バーニング』では、むしろ過去の価値との断絶こそが、新たなリベラルを作り出す原動力となったことをみました。過去に獲得されてきた価値を掲げるのではなく、未来に何を残すべきなのかということから逆算して、今ここから行動すること――それこそが次の時代のリベラルを作ることになるのでしょう。
(※1)
ディディエ・エリボン『ランスへの帰郷』塚原史訳、みすず書房、2020年