国際情勢が最も直接的にオリンピックに影響したのは、1972年のミュンヘン・オリンピックでしょう。オリンピック開催中のこの年の9月5日早朝、「黒い九月」と名乗るパレスチナ・ゲリラが、イスラエルの刑務所に収容されているテロリストらの解放を求めて選手村に侵入し、イスラエルの選手ら2名を殺害。その後、9名を人質にとって逃亡を試みたものの、空港で銃撃戦となってテロリスト8名のうち5名と人質9名全員が死亡するという最悪の事態となります。こうした痛ましい事件があったにもかかわらず、オリンピックは続行されました。この時、ブランデージIOC会長が発した「ゲームは続けられなければならない」という言葉は、オリンピック精神を象徴するものとして今日でも記憶されています。今回のオリパラの開会式で、俳優の森山未來氏による追悼ダンスが行われたことで、事件を改めて想起した人もいるかもしれません。
スティーヴン・スピルバーグが監督した『ミュンヘン』(2005年)は、このテロ事件を冒頭に置き、死亡したイスラエル人と同じ数の11名のパレスチナ・テロリスト殺害を計画したイスラエルのモサド(中央諜報安全機関)による現実の工作活動を描くものです。
計画を指示する首相は、36年のベルリン・オリンピックに言及して「世界中が競技に興じ、五輪の火が燃え、ドイツにはユダヤ人の死体。(でも)世界は気にもしな」かったことを指摘し、ユダヤ人殺害を二度と許さないためにも、非合法の秘密計画を命令します。劇中、あるテロリストが主張するように、ミュンヘン・テロによってイスラエル人のパレスチナ入植は世界に知られるようになりました。そもそもテロは相手に物理的ダメージを与えるものというより、テロを起こして世界の目を自分たちに向けさせ、存在を国際社会にアピールすることにあります。これと同じ論理でもって、モサドもテロリストの行く末を世界に示すため、暗殺を派手に行うよう、工作員たちに指示します。
パリやロンドン、ギリシャやオランダなど、各地のロケ舞台も映画の魅力のひとつになっていますが、それだけ工作員たちの活動も世界を股にかけるものだったということでもあります。最初は手際の悪かった殺害方法も、回を追うごとに洗練されたものになっていきます。2年間に及ぶ秘密作戦が行われる中で、暗殺グループの感覚も麻痺していき、イスラエルの安全のためというよりも、暗殺のための暗殺、復讐のための暗殺へと移り変わっていきます。ただ、テロリストの側からの報復も絶えず、状況は泥沼に陥っていきます。
こうした際限のない暗殺と報復合戦を経験したグループのメンバーは匙を投げようとします。「俺たちはユダヤ人だ。敵と同じ悪は働かない」「殺すたびに後任が誕生する」――工作員のリーダーのアヴナーは非情にも「では殺し続ける」と応答します。しかし、仲間が脱落し、殺され、テロの首謀者を取り逃がし、さらに自身の命までもが狙われるようになり、グループは標的全員を殺害できないままに活動を停止して、解散することになります。アヴナーは上司に向かって訴えます。「殺して何になる? より凶悪な後継者が現れる」――テロとの戦争に終わりはないのです。
2021年はまた、9.11をきっかけとした20年に及ぶ「テロとの戦争」が、アメリカとNATO軍のアフガン撤退という形で終わりを迎えた年となりました。そして、この間、世界のイスラム原理主義組織の数は、以前よりも増えたと分析されています。
『ミュンヘン』の最後のシーンには、9.11で脆くも崩れ去ったニューヨークのツインタワーが再現されて登場しています。スピルバーグ監督がこの映画を作った目的は、自身のルーツであるユダヤ人による対テロ戦争が無益に終わった経験を、戦争を戦っていたアメリカに伝えようとすることだったように思えます。
オリンピックに政治を持ち込むべきではない――オリンピック憲章にはそう書かれ、オリパラでもそのように主張されました。しかし、これらの作品はオリンピックと政治は、決して無縁でいることはできないことを示しています。そうであれば、多様性や調和といった、誰も反対しようのない、つまりわざわざオリンピックの場を使って主張するまでもないスローガンよりも、本気で世界の平和の祭典として、東京オリパラの理念を鍛え、新たな時代の政治がどのようにあるべきかを示すことはできなかったのか。その反対に、コロナ禍での開催の是非を含め、日本での議論は日本の事情や都合で議論され続けてきました。そうであれば、やはり東京オリパラは開催するのに相応しくなかったのではないかと、結論せざるを得ません。