かなり昔、映画では食えないものだから派遣のバイトに登録して、駅前でティッシュを配ったり、分譲マンションのプラカードを持って立ったり、マンションのポストに片っ端からチラシを突っ込むポスティングなどをして生活していた時期がある。確か下北沢の駅前でティッシュを配った帰り道で、一緒にティッシュ配りをしていた若い女の子に「なんで定職につかないんですか?」とたずねられたことがあって、ちょっと返答に困ったのだった。
「いや実は、まだまだ無名で売れてないんだけど、本職は映画監督で……」と言った途端に相手が大きく目を見開いた。最初は少し馬鹿にしたような口調だったのに、いきなり態度が変化して、少しばかりこちらを尊敬したような眼差しになって、「凄いですね、頑張ってください!」とか言われたのだった。いやはや、僕がどんな映画を撮っているのか知りもしないくせにさ。

映画監督って右のようなイメージだけど……
(アベニュー・オブ・スターズ(香港)にある映画監督像)
これがもしも、映画監督ではなくて俳優だとかミュージシャンだった場合には、その子もそこまで驚くことはなかったと思う。というのも、その頃の下北沢にはティッシュを配って生活しているような売れない俳優やミュージシャンは、いくらでもいたからだ。つまり、映画監督というのは俳優やミュージシャンと比べると多少はレアな存在であり、なおかつ映画監督というだけで、本人が撮った映画を観たこともないのに、少なからずリスペクトさせるような肩書なのである。なんだかなぁ……。
いつだったか、友達の映画監督が結婚すると聞いて心配になったものだ。
「相手のご家族には反対されなかった?」。というのも、相手の女性は普通に仕事をしており、なおかつ美人であった。僕がもしも彼女の父親だったとしたら、目の前にいる風采の上がらない男がやってきて「娘さんを僕にください」などと言いだしたら確実に反対すると思ったからだ。もしもその場に銃があったら射殺するかもしれない。何しろ彼の職業は映画監督だというのだから、それだけで結婚に反対する大きな理由になる。
「いやそれがですね、映画監督という肩書に効果があったみたいで、ご両親からは反対されなかったんですよ」絶句した。何故なら、僕は映画監督だから。映画監督という職業の実情をよく知っているから。
「え? マジで?」
「マジで」
本人も少し驚いていた。何故なら映画監督だから、映画監督の実態を知っている。
「つまり、世間の人々はまだまだ映画監督という肩書に幻想を抱いているってこと?」
「そうみたいなんですよ!」。この友人は、心底からマイナーな映画監督である僕と違って、メジャーな映画会社で監督デビュー作を撮っていたから、僕よりは少しは有名ではある。とはいえ、世間一般に名前を知られているような存在ではないし、そもそも世間一般の人々は映画監督の名前などそんなには知らない。世間一般の人々が名前を知っている映画監督といえばスピルバーグかタランティーノか、国内だと昔なら黒澤明、今なら宮﨑駿か庵野秀明、そうでなければ北野武だろう。黒沢清や三池崇史といった名前を知っている人は、そこそこの映画マニアである。たとえば日本映画の歴史の中で、最もヒットしたのが『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』なのは誰もがよく知っているわけだが、劇場に詰めかけた観客の大半は、この映画の監督の名前をちゃんと覚えていないのではないだろうか。外崎(そとざき)春雄は極めて優秀なアニメーターだけれども、宮﨑駿や庵野秀明ほど有名ではない。もちろんコアなファンたちは外崎の名前をちゃんとチェックしているが、そういうコアなファンだけでは記録的な大ヒットには繋がらない。