途中で記録的な大雪に見舞われたりもして撮影は大変だったけど、いざ出来上がった映画を観ると、良くも悪くも自分の映画らしいなぁと思う作品になっている。商品としての『PERSONA』は、あくまでもグラビアアイドルによる本格的なアクション映画なんだけど、監督と脚本家の色は出てしまう。それを世間は作家性と呼ぶわけだ。
自分の話ばかりして申し訳ないのだが、もう1本『舞姫~ディーヴァ~』という作品がある。原作は倉科遼、作画は大石知征のコミックで、主演はAKB48の初代リーダーである折井あゆみ。原作の倉科遼と折井あゆみがこの作品の売りであって、またしても脚本と監督は誰でもいいから適当な奴を連れてこい案件である。
とりあえず困ったのはシナリオだった。原作は全5巻のコミックスで、そのままでは90分未満の映画にならないから、大胆に改変する必要があった。しかし、倉科遼といえば売れっ子ではないか。好き勝手にシナリオで原作を改変してしまって怒られるのは嫌だなぁと、不安になった。
「あ、倉科先生にお伝えください。僕、司敬のファンだったんです」。司敬というのは、倉科遼が少年漫画の原作を書いていた頃のペンネームなのだ。幸いなことに、この伝言はちゃんと伝わった。別の作品の撮影中に、倉科さんが現場に挨拶するためにやってきた。
「監督! 司敬のファンだったんだって?」。倉科遼は、僕の顔を見るなり嬉しそうにこう言った。
「ストレートな少年漫画として、好きだったんですよ司敬作品」これで意気投合できたから、『舞姫~ディーヴァ~』のシナリオは原作を好きに改変できるようになった。これで安心して撮影に臨める。
だがしかし、この作品は、気が遠くなるほど予算がなかった。まず、現場に照明機材がない。とはいえ、照明さんはいたから撮影はなんとかできた。機材を借り出す予算がないから反射光とかを工夫して撮れるようにしてくれたのだ。野外の夜の場面なんか、自動販売機の灯りの照り返しを利用して撮影した。さらに、予算がないから音楽費がなかった。ダンスシーンが売り物の作品なのに、音楽を発注する予算はないのだ。仕方がないから編集に使っていたiMacの音楽アプリであるGarageBandで僕が作るしかなかった。だから、この作品では脚本・監督・編集・音楽が樫原辰郎なのである。なんでやねん。
「なんで俺が音楽やねん!」と自分にツッコミを入れながら黙々と仕事をしたわけだが、奇妙なことに予算がないがためのトラブルが続出した撮影現場の雰囲気は悪くなかったのだ。
映画監督というのはスタッフとキャスト、ほぼ全員にずっと見られている仕事である。都内の公園でロケをした時は、自宅から自転車で現場に行ったのだが、撮影の途中で放置自転車を回収する車がやってきて、停めてあった僕の自転車まで回収しそうになったのを慌てて止めたこともあった。監督がドタバタしているので、当然のことながらそれを見た役者さんたちは大笑いだ。折井さんも笑ってた。そう、監督が悲惨な目に遭って、皆が笑うことで現場の雰囲気が良くなることもあるんですね。スタッフもキャストも人間だから、仕事をする上で感情的なものが当然入ってくるわけだ。監督だからといって、意味もなく偉そうに振る舞っていると反感を招くこともあるだろう。それはよくわかる。この作品の場合は、過酷な撮影が続く中で、どうやら一番ひどい目に遭って苦労しているのは監督らしいぞ、という空気を役者さんたちが共有していたようだ。役者というのは自分の出番がない時間はひたすら待機する仕事なので、その空いた時間には役者同士でお喋りに花が咲くことも多い。役者同士の中で、人の輪ができるわけですが、監督というのは基本的に役者さんたちの輪の中には入れない。
映画の撮影現場というのは、俳優陣を別にすると基本的に同じ職種の人がいない。撮影部は基本的にカメラマンがいて、その助手さんがいる。作品の規模が大きくなると助手の人数が増えるわけだが、照明部やメイクさんもほぼ同じ構造である。リーダーがいて、その助手さんがいる。漫画家とアシスタントみたいな徒弟制度からなるチームワークだ。カメラマンチームと照明チームは近接した職種だし、メイクさんチームもカメラマンや照明さんと密接に打ち合わせをして、昼間の場面と夜の場面では違うメイクにしたりする。こういった、複数の職能チームが集まって映画が作られるわけだが、問題は監督チームである。監督がいて、助監督がいる。チーフ助監督がいて、作品の規模が大きくなるにつれてセカンド助監督、サード助監督、フォース助監督と大所帯になっていくのは撮影部や照明部と同じ構造でありますが、監督だけは他のパートとは少しばかり違うのだ。カメラマンと撮影助手はかなり近い関係だけど、監督とチーフ助監督はそんなに近くないのである。もちろん、自分と親しい人を助監督につけるという作戦もあって、大抵の監督は新作を撮る際には馴染みの助監督を呼ぶわけだが、カメラマンや照明さん、メイクさんとその助手さんは基本的に同じ職種の上司と部下なわけである。それに対して、映画監督と助監督は根本的なところで別の仕事なのだ。だから、映画監督というのは基本的に孤独なのだ。俳優同士は現場で横のつながりができるから、彼らのうちの何人かが、「今回の仕事の監督って、なんかイヤな奴だよねぇ」と思ったら、あっという間にそれが共有される。今だったらLINEとかで「この監督最低!」とか言われるかもしれない。それが一瞬で全俳優陣に共有されてしまう。想像するだけで恐ろしいわけだが、俳優陣だけではなくてスタッフ間にもそういうネットワークはある。僕自身はそこまで恐ろしい経験はないけれども、スタッフとキャストのほぼ全員から監督が嫌われるという現場もあり得るわけです。なかなか怖い職業でしょ?
第1回 映画監督は偉いのか
(映画監督/脚本家/評論家)
2026/03/12