昔の日本映画は、日活、大映、東宝、東映といった映画の製作会社があって、監督やカメラマンはその社員だった。黒澤明だって、若い時にP.C.L.映画製作所(翌年東宝に合併)という会社に入社して、山本嘉次郎のようなベテラン監督のもとで助監督の仕事をしながら脚本を書いたりしているうちに、監督に昇進したのだった。つまり映画を作る工場に就職した若者が、働いているうちに昇進して責任のある現場監督のポストについたという話だ。
現在の東宝スタジオ。黒澤明『七人の侍』の壁画とゴジラ像
映画というのは基本的に工場で生産する工業製品だ。だから、昔は撮影所という名の工場で量産されていたわけです。ちなみに、映画より後の時代に成立した、テレビというメディアはかなり映画のシステムを参考にしている。ニュース番組ならテレビ局が自社で製造するし、ドラマやバラエティ番組は、それらを専門に作る制作会社、プロダクションといった下請け業者に発注する。
昔の映画スタジオでは、常に新作を量産して映画館に届けるために何人もの映画監督が並行して作品を作ることになった。効率よくたくさんの映画を作るためには、複数の撮影チームが撮影所で上手く稼働するようなシステム構築が必要だから、監督やカメラマンといったスタッフを社員として抱えていたわけだ。これが撮影所システムで、今だとアニメの制作会社が似たようなシステムを構築しており、有名な監督やアニメーターたちの多くは何らかの組織に所属して給料で生活したりしている。
ところが1960年代にテレビが普及して日本映画にお客さんが入らなくなり、撮影所システムを維持することができなくなってしまったのだった。ガメラや座頭市を撮っていた大映は倒産し、大映で40本近い作品を撮っていた弓削太郎という監督などは仕事がなくなったので失踪し、軽井沢の山の中でミイラ化した死体となって発見された。おそらく自殺である。この辺りから、監督や助監督、カメラマンや照明さんといった技術パートもフリーランスが増えたようだ。フリーランスと言えば聞こえは良いかもしれないけれども、仕事がなくなれば無職と同じことである。もちろん、今でも無職ではない映画監督もいて、そういう人はたいてい映画やテレビ番組の制作会社の社員として給料をもらっている。
たとえばアニメーター出身の庵野秀明は株式会社カラーの社長だし、『ゴジラ−1.0』の山埼貴は日本のCGの草分けである株式会社白組に所属している。庵野秀明に関していえば、アニメーターとして起業した会社の社長が業務の一環として『シン・仮面ライダー』のような実写映画の監督も行うという話であり、山埼貴の場合はCGを含めた映像の総合商社である白組の重役が業務の一環として実写映画を撮るという体裁になっている。山埼貴が凄いのは、彼が撮る実写映画には必ず白組によるCGが使われるので、山埼貴監督が撮る映画には、そのまま白組の技術力を世間にアピールするためのパブリシティ効果がある点である。昔風の助監督から叩き上げて監督になったタイプの人には、こういう才覚はまずない。
庵野秀明も山埼貴も、いわゆる実写の映画監督以外の領域でプロとしての実績があり、庵野秀明の場合はアニメーターに、山埼貴の場合はCGクリエイターに専念していたとしても生活に困らないくらいの力量があって、余技として実写映画を撮ったりもするわけだが、世の中には庵野秀明や山埼貴のような器用な人はそんなにはいないわけで、アニメーターやCGクリエイターではなく、どこの製作会社にも所属していない映画監督の大半は基本的には無職である。ありていに言うと穀潰(ごくつぶ)しだ。近年では、各種の映画学校で先生をやって生活している人もいるから、場合によっては大学教授の肩書があったりするわけだが、それはもちろんたまたま教職という食い扶持(ぶち)を得ることができたからで、大学教授になるために映画監督になった人など、皆無だろう。もちろん、教職を辞めればまた実質的な無職になって日雇い労働者として工事現場で汗を流して働かないと生活ができなくなったりする。
わかりやすく言うと、庵野秀明も山崎貴も大学講師をやっている映画監督も、はたまた駅前でティッシュを配って生活している映画監督も、全員が兼業映画監督なのである。専業はいない。
新作を撮影している最中の映画監督は決して無職ではない。撮影が終わればギャラが入るからだ。ただし、完成した作品の上映が始まって舞台挨拶に出たり映画雑誌からのインタビューを受ける頃には、ほぼほぼ無職に近い状態になっていたりする。舞台挨拶や雑誌のインタビューなんて、ギャラが発生することは珍しいし、あったとしても雀の涙ですからね。実際問題としては、新作映画の初日に舞台挨拶をするよりも、マクドナルドでバイトしている方がお金にはなるわけですが、監督というのは大勢のスタッフやキャストが頑張って使った映画の代表者であるという自覚はあるので、バイトのシフトを削ってでも自作のイベントには登壇しようとするわけですよ。ね、映画監督って悲しい存在でしょ?
しかしながら、世間一般の人々は映画監督の実態など知らないから、なんとなく、あくまでなんとなく、映画監督というのは作家のような存在だと思っているのではないだろうか? 実際、映画というのは、大抵の場合はその監督の作品として記録される。だがしかし、映画監督というのは本当に作家なのだろうか?
こういう疑問に対しては、実作品を参考にするのがよいだろう。それではお手持ちのスマホからAmazon Prime Videoのアプリを開いて「樫原辰郎」で検索してみてください。何本かの、いかにも安っぽそうな映画が見つかるはずだ。僕の監督作と脚本作品の一部なんですけど、安っぽく見えるとしたらそれは実際に低予算の作品しか撮ったことがないからである。その中に『PERSONA』という映画がある。ゲームのペルソナとは関係ない。僕のオリジナル脚本作品です。自分でシナリオを書いて演出もしているので、僕がこの映画の作者、作家だと世間一般の人は思うだろうし、もちろんそれに異論はないのだが、この映画がどのように成立したかを知ると、映画監督の作家性について少しばかりの疑問が浮上するのではないか。
まずはじめに、グラビアアイドルで本格的なアクション映画を撮るという企画があった。そこでまず、カンフー映画の本場である香港で活躍する谷垣健治さんが招聘されて、ミスマガジン出身でグラビアアイドルとして活躍していた山崎真実さんを主演を迎えることになったわけですよ。この時点でマストなのは谷垣アクション監督であり、主演の山崎真実である。脚本家と監督は、別に誰でもいいから、適当に良さそうな奴を連れてこい、みたいな話である。それで、内密にプロットのコンペが行われた。かなり前のことなので、うろ覚えだけれども、その時のコンペの募集要項はこんな感じだった。
「グラドル主演のアクション映画のプロットを募集します。女優が演技派に見えるようなお話が好ましいので、二重人格で悩む設定とかあるといいかも」
めっちゃ雑ですが、マジでこんな感じだった。映画人というのは横のつながりがあるので、たまにこういうコンペに誘われるのです。それで、適当に思いついたプロットを書いて送ったら、僕のプロットが選ばれてしまったので、自動的に脚本家をやることになって、あれよあれよという感じで監督もやることになったのだった。映画というのは、一種のお祭りなので、あれよあれよというノリで盛り上がってしまうことがあるんですね。僕自身、プロットが選ばれただけなんですけど、監督をやることになってしまって、キャスティング会議で「この役には萩原聖人さんなんかが良いですね~、奥さん役は鈴木砂羽さんとか、そんでラスボス役は佐野史郎さんとか」。こんなに低予算な映画で、こんな有名な俳優さんたちを呼べるわけがないと思っていたから、好き勝手なことを言ったわけですが、キャスティング担当の人が真に受けて交渉してしまったのである。
「ホンを読んだ萩原さんが、これならやってもいいと言ってます」
「え? マジで?」
「それで、聖人が出るのなら自分も出ていいかも、と佐野史郎さんが」
「え? 嘘でしょ……」
「鈴木砂羽さんも、佐野さん萩原さんが出るならと、オッケーです」
「マジかよ……」。いやもちろん、出身してくれた萩原さん、佐野さん、鈴木砂羽さんには今も感謝しているんだけど、監督本人はマイナーなピンク映画出身だから、こんなに豪華な俳優さんたちと仕事をする機会があるなんて思っていなかったのだ。そもそもが、谷垣アクション監督、山崎真実主演の企画で、佐野史郎、萩原聖人、鈴木砂羽といった名優が出演することになったわけですよ、ここで最も影が薄いのは監督・脚本の樫原辰郎である。それは間違いない。