結論から言うけど、我々ホモ・サピエンスはストーリー、物語に依存した動物であり、物語がなかったら生きていけない物語ジャンキーであります。我々は、幼い子供の頃から「おはなし」が大好きで、大人になってからもやっぱり物語を摂取したくてたまらないからスマホで漫画を読んだり映画館に足を運んだり、通勤電車の中で文庫本を読んだりしている。
子供というのは、自分が生きていくために必要な知識をめいっぱい吸収しなければならないので、おはなしという形式を通じて、様々な情報を学習する。つまり、物語というのはエンタメであると同時に学習のためのツールでもあるわけね。そして、大人になってからも広い意味での世間知を吸収するための学習は続く。若い人たちから頼りにされる老人というのは、学習を積み重ねた人たちなのだけれども、それはその老人が若者よりも遥かに多くの物語に接して、役に立つような事柄を吸収してきたからだ。
ここで重要なのは、小説だとか映画だとか漫画といった、パッケージされた商品だけが物語ではないということである。
ちょっと想像してみてください。あなたは高校生で、休日に繁華街に出かけたとする。そしてたまたま、クラスメイトのA君とB子さんが、連れ立って歩いているのを目撃したとする。しかも、2人は手を繋いでいるではないか。あなたは、この2人が付き合っているとは知らなかったとします。2人は、あなたが見ていることには気がついていなくて、やたらと楽しそうにしている。この瞬間、あなたの脳内で、つい今しがたまでは考えたこともなかった物語が、勢いよく注いだビールの泡のように膨れ上がっているのではないだろうか。もしもあなたが、A君ないしB子さんに片想いをしていた場合には、おそらくあなたの脳内で悲劇的な音楽が流れるのではないだろうか。物語というのは、基本的には、その物語を味わう人の脳内で発生するのだ。あなたがA君やB子さんに片想いをしているわけではない場合、次の日、登校したあなたはクラスメイトたちに昨日見た光景を言いふらすかもしれない。「A君とB子さんがデートしていた!」という物語を友達たちと共有するために……。
こういうのは大人になっても変わらない。もしも自分の恋人や伴侶が、見たこともない異性と抱き合っているのを目撃した場合には、即座に怒りや悲しみに包まれるけれども、友達の恋人や伴侶が友達以外の異性と抱き合っているのを目撃してしまった場合、何しろ我々には慮(おもんぱか)るという習慣があるので、それはそれは複雑な物語があなたの脳内でよく焼けた餅のごとく膨らむのではないだろうか。これはかなり、ややこしい話になるんですけど自分自身の恋人が浮気をしていた場合、浮気相手をぶっ殺すか、それとも浮気した自分の恋人に怒りをぶつけるか、そうでなければ浮気された己を嘆いて自殺するか、みたいな行動に走りやすいんだけど、浮気された当事者が友達であった場合には、割と理性が働いて、今後のことについては冷静に相談にのれたりもします。これは、親しい友達だから感情移入はしつつも、それなりに相対化できるからで、要するに、あなたの脳が他人事を物語として受け入れているからだ。
少し話が逸れたような気がするので話を戻すと、クラスメイトの恋愛や知人の浮気話といったゴシップもまた「物語」なわけです。漫画に映画、そして小説と、我々は様々なメディアを通じて物語を享受する。そして最近では、漫画も映画も小説もスマホで楽しめたりすることはご存じの通り。物語というのはメディアを選ばないのだ。そして、いわゆるゴシップ、噂話というのも我々にとっては重要なメディアであり、物語を運ぶためのツールなのだ。そして今では、噂話もスマホで共有されることが多い。
提供:Ikon-Images/アフロ
ゴシップが物語であるように、社会的に問題のある陰謀論というのもまた、物語なんですね。外国人排斥運動なんてのは、特定の国からやって来た人たちが悪いことをしているという物語を共有した人たちが起こすものであり、ナチスドイツの場合はユダヤ人について偏った見方(物語)を大規模で共有したから歴史的な悲劇となったわけです。そういう意味では物語というのは危険なのである。だがしかし、我々は物語がなかったら生きてはいけない。それくらい物語に依存しているのです。
物語が、いつ誕生したのかはよくわからない。記録が残っていないからだ。何しろ文字がまだ発明されていなかった。現代人である我々は、普段から話し言葉と文字を併用して生活しているから、言語と文字をセットにして考えてしまうわけだが、文字が誕生したのは人類の歴史の中ではわりと最近で、たかだか5000年くらい前の話だ。それに対して、今のような話し言葉が生まれたのは5万年から6万年くらい前らしい。言葉というのは、史上最強のメディアで、ホモ・サピエンスは言語を発明したからこそ、巨大な文明を築いたのだという説があって、それはおそらく正しいんだけどさ、そんなに凄いメディアがいきなり生まれるわけはなくて、おそらくはネアンデルタール人やデニソワ人たちも、身振り手振りとボイスパーカッションを組み合わせたようなプロトタイプの話し言葉を使っていたのである。そして我々の遥かな祖先たちは、集団で洞窟に住んで狩猟生活をしていた。ここが重要なんだけど、我々ホモ・サピエンスは狩りで捕まえた獲物の肉を加熱して食べることで進化したのだ。焼いたり煮たりすると硬い肉でも食べやすくなるし消化もされやすい。獲物の骨を割って骨髄をすすり、骨を加工して新たな道具を作る。つまり、毎日が火を囲んでのキャンプファイヤーみたいな生活で、もちろん言葉が生まれる前から歌のようなものや踊りはあっただろうから盛り上がらないわけがない。身振り手振りと、原始的な言葉しかなくても「今日の獲物はデカかった!」とか「あいつは力持ちだ!」みたいな意味は伝えられるから、おそらく物語が誕生したのは原始人のキャンプファイヤーにおいてだと考えて良いのではないか。もちろん、仲間が死んだら〝悲しいよね〟みたいな感情も共有される。つまり、これは文学の始まりだ。同じ集団で生活して情報を共有し、共に食事をすることから物語が誕生して、それが文学となったと考えるとなかなかエモいではないですか。