「もらったチョコの数で人間の価値を決めるな!」「カップルは自己批判せよ!」
毎年、バレンタインデーの季節になると「非モテ同志の連帯」を呼びかける「革命的非モテ同盟」が、こんなシュプレヒコールを上げながらデモを繰り広げる。胸のゼッケンには、「セックスなんかいくらやったって無駄だ!」の文字。2016年のデモでは、ホワイトデーの「3倍返し」について「利息制限法違反だ!」と訴えるシーンもあったという。
「モテない」人や「彼氏・彼女のいない」人には辛いクリスマスやバレンタインデー。堂々と「非モテ」を掲げる彼らは、「恋愛資本主義打倒」をスローガンに、もう10年ほど活動を続けている。
そんな彼らについて、「モテるように努力すればいい」などの意見もある。が、彼らの活動は、何かこの国の「生きづらさ」の本質を突いているような気がするのだ。
ということで、今回はそんな「モテ」問題などから派生する生きづらさ全般について、「主流秩序」という言葉から読み解きたい。この言葉・概念を生み出したのは神戸大学・立命館大学非常勤講師のイダヒロユキ氏。長らくジェンダー問題に取り組み、デートDV防止教育やDV加害者のためのプログラムを運営している。
そんなイダ氏が著した『閉塞社会の秘密 主流秩序の囚われ』(2015年、アットワークス)は、私に「生きづらさ」の原因を解き明かしてくれるものだった。例えば主流秩序は、金持ちであるほうが上位という「金持ち秩序」や、女らしい・男らしいほうが上位という「ジェンダー秩序」などから構成されている。主流秩序という概念を一言で言うと、「社会の多数派が持っている価値で人を偏差値的に序列化したもの」。例えば「モテ能力秩序」(恋愛秩序)は、以下のようなものだ。
「『モテるかどうか、恋愛しているかどうか、リア充がよいという秩序』……モテる人ほど、恋愛経験が多い人ほど上位、その逆が下位(例えば10人以上の人と恋愛経験あり→5人との恋愛経験→恋愛経験なし→性体験なし)」
このような秩序は、モテだけでなく、仕事やコミュ力、社会的地位など形を変えて私たちの周囲を覆い尽くしている。そしてより上位に行くことが「幸せ」だと、私たちはいつからか信じ込まされている。
だけど、それでいいのか? と異議を唱えるのがイダ氏だ。主流秩序を「生きづらさの背景にある洗脳装置」と言うイダ氏に、じっくりと話を聞いた。
私がイダ氏を知ったのは、10年ほど前。フリーターなどからなる、個人加盟の労働組合が主催するデモで顔を合わせたのが最初だと思う。イダ氏は学者でありながら、関西で結成された「ユニオンぼちぼち」という労働組合で活動しており、また彼を知る人は「フェミニスト」と称していた。
なんで学者なのに、やたら嬉しそうに組合とかの活動してるんだろ? それがイダ氏の第一印象。そして次の印象は、なんで男性なのにフェミニストなんだろ? というものだった。が、この2点こそが、まさに今回のテーマに深く繋がるものだったのである。
イダ氏は現在、58歳。早速フェミニズムに目覚めたきっかけを問うと、「モテたかった」という答えが返ってきたのでブッ飛んだ。
「素直に『いい男になりたい』『モテたい』と思ったら、フェミ(フェミニズム)は大事な指針だったんですね。恋愛に関心があって、そこでの平等っていうのを考えて、説得的なものがフェミだった。恋愛における平等っていうのは、家事をするとか、偉そうにしないとか、セックスでも暴力的じゃないようにするとか、DVをしないとかいう感じです。
大学院の時の先生は、女性労働研究のフェミの女性の先生だったし、もう小学校の頃から僕に影響を与えたのは女の先生でしたからね。恋愛映画も少女漫画も好きで、ラブコメ的なものとか、キュンとするのも好きだから、そこからフェミに近づいたんだと思います」
イダ氏が大学生・大学院生の頃は1980年代。ちょうどフェミニズムや環境運動に「元気が出てきた」時代だったという。そんなイダ氏がよりフェミニズムにハマるきっかけは、大学院の修士論文を書いている時に「6年間つき合ってた彼女にフラれた」こと。
「それを契機としてより一層、恋愛とか結婚とかについて、考えるようになったんです」
さて、それではフェミニズムとは一体なんなのか。ネットの用語事典には、「女性解放思想、またその思想に基づく社会運動(後略)」とある。が、イダ氏にとってのフェミニズムとは「やられた人が立ち上がる感じ」だという。
「社会的弱者が反撃するのが好きなんです。フェミもそういうものだから好きなんです」
そうしてイダ氏は、80年代後半から個人加盟の労働組合の運動に関わっていく。なぜ、女性の運動ではなく労働運動? と思う人もいるかもしれないが、労働問題には、女性差別が根深く存在している。今でこそ、女性の非正規雇用率が高いことが注目されているが、そんなことがまったく社会的に注目を浴びていなかった80年代から、イダ氏はパートや非正規で働く女性たちの運動に関わってきたのである。
そうして93年、イダ氏は大学の専任教員となり、97年には大阪経済大学の助教授に。本も出版し、新進気鋭の学者として注目された。
「その頃はもう上り調子でしたね。新聞とかにもいっぱいコメント求められて、海外でも認められて、もうすごい気持ちがええんですよね。年収も1000万円くらいで。だけどそういうのは面白くないと思って、2005年に大学を辞めました」
ええっ? なんで?
「『宝くじ当たったの?』とか言われたこともあるんですが、学者してて、ええこと言うてええ授業してたら、ええことしてる気になってくる。パートタイマーの女性のこととか論文に書いて、組合に呼ばれて格差問題について講演したりしてたんだけど、そういう自分は男性で、正規教員で年収1000万円あって、講演でも『先生』と呼ばれて。しかも高い講演料貰って。そういうのに疑問を持ったんです」
40代になったばかりの頃だった。
「40歳ぐらいの時に、残りの人生を考えたわけですよ。そうしたら60、70歳まで安泰の道が見えてるわけです。もう年収も下がりませんしね、そこそこやれるだろうと。でも、見えたところでもう面白くないし、不自由やなと思って」
もちろん、まわりからは止められた。一緒に運動している人も止めた。
「運動家の人たちは、助教授を辞めないでくれと言いましたね。『現場で団体交渉したりデモしたりするのはオレらがやるけど、理論家が要るんだ』と。でも、分業で学者をやるのは個人的にはつまらんなと思ったんです」
そうしてイダ氏は、助教授という安定・高給の立場から、不安定・薄給の代名詞である非常勤講師となる。「なんて勿体ない!」と思わず叫びそうになるが、その頃から、自殺防止のボランティアや、「ユニオンぼちぼち」の活動に一組合員として参加するようになった。
労働相談を受け、団体交渉にも参加する。そんな現場での実践を続けつつ、長らく力を入れてきたのはDVの予防教育。高校や大学で話をすることも多いという。そんなDV問題に取り組む果てに加害者への教育の必要性を強く感じ、14年から始めたのがDV加害者プログラム「NOVO(ノボ)」だ。毎週土曜日、DV加害者へのワークショップを続けている。
「身近なところから、未来社会的なものをつくるということを今、模索中ですね。労働絡みだったら、相談受けて、団体交渉する。DVなら、プログラムで加害者の人も変わるようにと。DVプログラムに来るような人は、本当に普通の男性ですね。(逃げた)妻や彼女を取り戻したいとか。やってて感動するのは、加害者の人が深く自分を見つめることがあるんです。生き方の見直しやから、結局、かなり高いレベルの人間性になることを求めてるんですよ」
DVというと暴力だけを連想しがちだが、それはもっと広いものだとイダ氏は言う。
「橋下徹さん(元大阪市長)とか、安倍晋三首相とかもDV的です。自分と違う奴を敵とみなして攻撃する。で、自分がちょっと攻撃されるとカチンと来て、勝とうとするのがDV加害者の特徴。口が上手いから勝つんですよ。その背景には、正しいことを教えてやってるのに何が悪いねんっていうのがあります。
学生の中にも、恋愛相手を『自分が導いてやらなあかん』という意見がある。相手の愚痴とかも『そんな愚痴言うな』『もっとこうしたらええ』とか言う。でも、共感の関係が大事だから、愚痴に対して『せやな』とか『そりゃ悔しいな』とか、そういうのが大事。だけど特に男の学生は『そういうのは生産的じゃない』と言う。そんな学生には、自分が正しいと思った時に、相手を自分に従わせることもDV的や、と教えています」
非常に大切な視点だ。日常や、ちょっとした会話の中にも潜むDV性。そんなイダ氏が主流秩序という言葉を使い始めたのは、11年頃のことだという。
幸せの尺度ってなんだろう?
(作家、活動家)
2017/03/02