もらえないなら“養育費を払えない”という夫からの証明書を持ってこい」というせりふだった。DV(ドメスティックバイオレンス)の被害者に、もっともしてはいけない対応である。「やっぱり恐ろしい目に遭った。あんなところには2度と行きたくない」。彼女は周囲にそう話していたという。
おそらくこの頃、彼女の中に残っていた最後の気力の糸のようなものが、ぷつんと切れた。すでに家賃は1年間滞納していた。ガスも止められ、灯油も底をつき、真冬の札幌で暖房はコタツだけだった。郵便受けに届くのは、サラ金からの請求書ばかり。もう借金を頼めるような相手もいない。きれい好きだったのに部屋の中はゴミだらけになってしまい、彼女はコタツで寝たきりになってしまう。
そうして87年1月23日、3人の子どもを残して、母親は息を引き取った。死因は餓死だった。
これが札幌シングルマザー餓死事件の概要だ。事件発覚後、彼女が住んでいた札幌市の白石区役所には批判が殺到し、「福祉が人を殺した」と言われた。しかしその後、母親の男性関係についてのうわさが、一部メディアでスキャンダラスに報道された。「餓死」というあまりにも痛ましい死因で亡くなった一人の女性が、死後、心ないバッシングにさらされた。
あれから、28年。女性の社会進出が叫ばれ、女性は強くなったなどと言われるのに、「シングルマザーは清く正しく貧しく、子どものことだけ考えてひたすら耐えろ」という社会のまなざしは、まったく変わっていないのだ。
そんなことを、今、痛感している。
※参考文献 水島宏明「母さんが死んだ――しあわせ幻想の時代に」(ひとなる書房、1990年刊)、寺久保光良「福祉が人を殺すとき」(あけび書房、1988年刊)
次回は5月7日(木)の予定です。
母親バッシングへの怒り
(作家、活動家)
2015/04/02