2015年2月、神奈川県川崎市の多摩川で、中学1年生の男の子が殺害された事件は日本中を震撼(しんかん)させた。あまりにもむごたらしく殺された男の子は、まだ13歳だった上村遼太君。事件から1週間後、17~18歳の少年3人が、殺人容疑で逮捕される結果となった。
インターネット上では、犯人とされる少年たちの顔写真などがアップされ、某週刊誌は実名と顔写真を掲載。そんなふうに加害少年への憤怒にこの国が包まれる中、なぜか被害者である遼太君の母親も、一部メディアのバッシングにさらされている。その論調は、なぜ、息子が深夜に出歩いているのに気づかなかったのか、けがをしていたのに事情を深く聞かなかったのか、責任は母親にもある――といったものだ。
もちろんメディアの中には、被害者遺族である母親を擁護する記事もある。が、傾向で言うとオッサン週刊誌は母親を非難しがち。一方、女性誌は母親擁護派という感じだ。特に「女性セブン」(小学館)は、3月26日号に「上村くん おかあさんはがんばったよね。」というタイトルの記事を掲載。シングルマザーの厳しい生活実態をつづることにより、「母親を責めることの無意味さ」を世間に問うた。
子どもが惨殺された母親に対し、「母親なんだからもっとちゃんと見ておくべき」と上から叱咤(しった)するような男性誌と、「母親だって大変なんだ」と女性たちの悲鳴に耳を傾ける女性誌。この対比だけを見ても「男性」「女性」の間のあまりにも深い溝に気が遠くなるが、そんな中、「オッサン週刊誌で母親に意見する女性作家」の記事が話題となった。
その人は、ご存じ林真理子氏。「週刊文春」(文藝春秋)の3月19日号の連載「夜ふけのなわとび」で、林氏は「お母さん、お願い」と題したコラムを寄稿している。
林氏は、ニュースで痣(あざ)ができた遼太君の写真を見た時、「親はいったい何してるんだ!」と叫んだのだという。その反応は、わからないでもない。林氏が書くように「ふつうの親だったら、子どもがこんな顔にされていたら警察に届けるはずだ」と言うのもわかる。また現在の「子どもの貧困」にも一定程度、理解があることもうかがえる。しかし、林氏は母親に「恋人がいた」らしいことに、ずいぶんとこだわっている。
「いつまでも女でいたい、などというのは、恵まれた生活をしている人妻の余裕の言葉である。もし離婚をしたとしたら、子どもが中学を卒業するぐらいまでは、女であることはどこかに置いといて欲しい」「もし恋人が出来たりしても、子どもはいちばんのプライオリティに置いてほしい。そしてセックスとかそういうことで、現実逃避しないで欲しい」
この林氏の言葉に、私はとても、ひっかかるものを感じる。
そもそも、遼太君の母親は、「母よりも女でいたい」などとはひとことも言っていない。ただ、報道で「彼氏らしき人がいるらしい」と言われているだけだ。子どもがいると言っても、すでに離婚した身なのだから、彼氏ぐらいいたって誰に何か言われる筋合いはないだろう。もしかしたら、「再婚」を考えている相手という可能性だってある。この場合、すでに再婚が成立していたら、誰も母親に対して「母よりも女でいたいのか」「セックスで現実逃避するな」なんて失礼極まりない言葉を浴びせないはずだ。
林氏のコラムを読んで、思い出したことがある。
2012年に京都府宇治市で、生活に困窮したあるシングルマザーが生活保護を受ける際、役所に「男性の出入りはさせません」という内容の誓約書を書かされた話だ。生殺与奪のすべてを握っている役所にそんなものを書かされたら、「もし男性を家に入れたら生活保護を切られてしまうかもしれない」という恐怖心が刷り込まれるだろう。というか、そもそも役所に人間関係についてとやかく言われる筋合いなど誰にもない。この事例は思い切り人権侵害だと思うのだが、この国の一定程度の割合の人は、そういったことに対してひどく鈍感だ。
遼太君のお通夜の日、母親が発表したコメントには、「遼太が学校に行くよりも前に私が出勤しなければならず、また、遅い時間に帰宅するので、遼太が日中、何をしているのか十分に把握することができませんでした」と書かれている。夫の家庭内暴力などが原因で数年前に離婚した母親は、病院で介助の仕事をしながら、5人の子どもを育てていた。
川崎市だと看護助手の時給は1000円程度。一部報道では、夜はスナックで働いていたとも言われているが、本当のところはまだわからない。が、たった一人で自らと5人の子どもの生活を支える苦労は、想像してみればわかる。
この国の一人親家庭の貧困率(所得分布の中央値の半分に満たない人の割合)は、54.6%と先進国で最悪。母子世帯の平均就労年収は181万円。児童扶養手当などを入れても223万円だ。また、就労率は8割以上と高いが、そのうち半数近くがパートやアルバイトで働いている。シングルマザーだと「子どもが熱を出した」などの理由で勤務に支障が出ることもあるとされ、なかなか正社員として雇ってもらえないからだ。そんなパート、アルバイトで働くシングルマザーの平均年収は125万円。一人だって暮らしていけない額で、子どもを育てているのだ。
「養育費があるじゃないか」と思う人もいるだろう。が、父親から養育費をもらっている母子世帯は、わずか19.7%。8割以上が養育費ゼロで暮らしているのだ。そのことを証明するように、約半数が「貯金50万円以下」である。
ちなみに、それほど貧困率が高いのに、生活保護を受給している母子世帯は14%程度。今まで多くのシングルマザーに話を聞いてきたが、そのほとんどが最低賃金ギリギリの額のパートを2つも3つもかけ持ちすることで、なんとか日々をしのいでいた。朝から昼まで弁当屋で働き、午後はファストフード店、深夜から朝までは工場の夜勤で、1日の睡眠時間は3時間程度の午睡だけという人もいたし、昼の仕事の後に子どもたちの食事を作り、夜はスナックで働く人もいた。
あるシングルマザーは、夜勤の仕事に行く前、子どもに睡眠薬を飲ませるのだという。夜中に子どもが起きてしまい、「お母さんがいない」とパニックにならないようにだ。しかし、もし睡眠薬で事故があったら「子どもに眠剤を飲ませる鬼母」などと非難されるのだろう。
本当は、シングルマザーがそこまでしなければ生きていけない社会制度の不備が問われるべきなのに。とにかく、日本は先進国でもっとも「シングルマザーに冷たい国」なのだ。
そんな中で、遼太君の母親も必死で働いていた。仕事と家事と、遼太君より小さい子どもたちの世話。「でも不登校になっていたんだから、もっと寄り添うべきだった」なんて言う人もいる。そんな人に、ある事件を紹介したい。
1987年に北海道札幌市で起きた事件だ。以下、のちに出版された本から経緯を追うと、主人公は3人の子どもを持つ39歳のシングルマザー。夫の家庭内暴力が原因で離婚後、幼子を3人抱えた彼女は生活保護を申請。約1年後には病院でのパートの仕事も決まり、「パートで働いても4人の最低生活費に満たない分」が生活保護費として支給されることとなった(生活保護は働きながら足りない分を補てんするという、このようなもらい方もできる)。
ぜいたくはできないけれども、子ども3人と安定した生活が送れていた。しかし働き始めて約2年後、歯車が狂い始める。彼女たちは市営住宅に入居するのだが、収入はまったく変わらないのに生活保護を打ち切られてしまうのだ。
そこから生活は、徐々にほころびを見せていく。それでも彼女は頑張っていた。病院での仕事の後に居酒屋でパート勤めをし、交通費を節約するために電車通勤から自転車通勤に変えた。が、どんなに働いても、生活は楽にならない。彼女は友人から借金をするようになり、サラ金にまで手を出してしまう。そして結果的には、借金が友人との関係を断ち切ってしまう。
そんなギリギリの生活を始めて4年後、三男が不登校になってしまう。朝、子どもたちより早く出勤する母親が、その事実を知ったのは学校からの電話によってだった。悩んだ母親は仕事を休職。これで完全に収入が途絶えるわけだが、役所は彼女が何度足を運んでも生活保護を受けさせず、暴言まで浴びせる。
「恥ずかしくて人には聞かせられないようなことを言われた。あんなことを言われたら、もう2度と行きたくない」。そんなふうに、こぼしたこともあったという。結局、子どもの不登校がきっかけで仕事をやめた彼女は、喫茶店や居酒屋で働き、1日3000円程度の収入を得るという綱渡りの生活に陥ってしまう。
しかし、そんな生活も長くは続かない。体調を崩し、彼女は働けなくなってしまう。が、お金がないので病院にも行けない。子どもたちは近所の人にお金を借りて食事をするようになり、痩せ細った彼女を見ていられないと、まわりの人は生活保護の申請に連れて行く。
しかし、そこで言われたのは「9年前に別れた夫に養育費をもらえ。
母親バッシングへの怒り
(作家、活動家)
2015/04/02