ここまで書いてきたように、高校時代の私の「ヴィジュアル系好き」は、親や周囲の大人たちの激しい「弾圧」との闘いだった。そしてその弾圧はCDショップにまでおよび、バンギャにとっての「聖典」であるところのアルバムさえ入手できない、という隠れキリシタン的状況にまで陥ったのだが、だからこそ、バンドへの熱は燃え盛った。少女だった私にとって、大人たちの「弾圧」は、日々大量に投下される燃料でしかなかったのである。そして否定されればされるほど、彼らへの信仰は揺るがぬものとなった。
そんな日々から、約30年。
私は45歳になるというのに、いまだにヴィジュアル系バンドから「卒業」できず、今もライブに行っている。当時好きだったバンドはもちろん、最近のバンドのライブにも行っている。これを私は、過去の「思い残し」の供養だと思っている。
あまりにも「好き」を否定され、ライブに行くことを止められ、時に泣く泣く諦めさせられたため、30年経ってもまったく気持ちが冷めないのだ。いや、ずっとヴィジュアル系シーンのファンで居続けるのは「いいこと」ではある。
しかし、10代の自分の「無念」をなんとか成仏させるために、40代の自分が負債を払い続けているような気も時々しないでもない。もはやライブに行くというより「墓参り」に行くような気分で10代の自分の魂が「安らかに眠る」ことをいつも願っている。が、「まだまだもっとライブに行きたい!」とあの頃の自分はまだむずかっている。
これはいつまで続くのだろう? というか、私はいつまで10代、20代のバンギャに混じってライブハウスの平均年齢を上げ続けなければならないのだろう?
そう思うと、なんでもかんでも頭ごなしに「禁止」することは、一生モノの呪いにつながるのだなぁ……と、香川県の半世紀後くらいに思いを馳せたくなってくる。50年後、香川県ではゲームがやめられない高齢者が続出し、問題になっているのではないだろうか。
ということで、禁じすぎると、私のような人間になる可能性がある。
別に40代でヴィジュアル系バンドのライブに行くって合法だし何の問題もないのだが、自分の中には、ずーっと「ヴィジュアル系バンドによって人生が破滅するのが本望」というような10代の頃の破壊衝動がそのままあり、まかり間違ってこの願望が嫌なタイミングで発動しないことを祈るばかりだ。いわば「思い残し」は、一生所有権を手放せない時限爆弾なのである。
そしてもう一つ、書いておきたいのは、私がヴィジュアル系に過剰にハマったのは、当時の自分がいろいろつらすぎたからということだ。主な理由はいじめなのだが、そんな思春期真っ只中の自分の「絶望」にピタリとハマったのが当時のヴィジュアル系だった。
親はそんな私を「好きなもの」から遠ざけようとして軋轢が生じたのだが、他に少しでも楽しいことや心が開ける場があれば、わざわざ家出までしてライブには行かなかったと思うのだ。逆に言うと、その他に世界に一つも居場所がなかったから、過剰すぎるほどにハマった。ゲームだって、そうかもしれない。他に安心していられる場所があれば、過剰にゲームの世界にハマらなくて済むかもしれないのだ。
必要なのは「禁止」じゃなくて、責められず、比較されず、バカにされず、そのままの自分が尊重される場所なのかもしれない。あの日、売ってもらえなかったCDは、今も私の心を疼かせる。そして戻れるふるさとがないから、東京でなんとか生きていくしかないと思い、少しだけ、悲しくなる。
次回は5月6日(水)の予定です。