今年も3月11日がやってきた。
東日本大震災から9年となる今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響から、政府主催の追悼式典は中止。その他の追悼イベントも多くが中止となった。メディアでは、例年のように「あの日から9年」を迎えた人々の声が伝えられた。
原発事故によっていまだ戻れないふるさと。嵩上げされてすっかり風景の変わった海沿いの町。多くの記事の中、「小さな集落で家族のように暮らしてきたのに」という被災者の描写を読んで、胸が痛むとともに自分の地元を思い出した。
私の地元は北海道で、札幌から特急電車で約1時間、各駅停車で2時間以上のいわゆる「田舎」である。そんな故郷にどんな思いがあるかと言えば複雑で、田舎独特の「どこの家の誰か、みんなが知っている」ような人間関係が嫌で嫌で仕方なかった。とにかく窮屈でしょうがなかった。
中学生までは、そんな窮屈さは微塵も感じていなかった。そんなものだと思っていたというのもあるが、中学生までの私は親から見ると「大人しい優等生」で、何の問題も起こしていなかったからである。ある意味、私は地元という「村社会」の大人たちからノーマークでいられたのだ。
しかし、高校生になった途端、私を見る大人たちの目は変わった。高校入学からほどなくして重篤な「バンギャ」(ヴィジュアル系バンドのファンの総称)となった私は、「不良」的な枠に入れられることになったのだ。ヴィジュアル系バンドが全国ツアーで札幌のライブハウスに来るたびにライブに行き、追っかけしてそのまま家に帰らなかったりしていたから仕方ないのだが、当時の私にとって、ヴィジュアル系バンドは「世界のすべて」だった。
中学までは優等生だったのに、高校に入った途端に髪を染め、ライブに行ったまま家出を繰り返すようになった私に対し、親は当然「ライブに行くな」「学校に行け」と怒鳴りつけた。そのうち、顔を合わせるたびに小言を言われるだけでなく本格的に衝突するようになり、家は「ほぼ地獄」になった。そんな家にいたくなくて、家出の回数は増えるという悪循環が始まった。そんな頃、決定的なことが起きた。
それは当時、私が大好きだったバンドのCDの発売日。その日を心待ちにしていた私は喜び勇んで市内に数軒しかないCDショップに行き、そのCDをウキウキとレジに差し出した。放課後で、狭い店内に客は私一人しかいなかった。すると、レジにいたおばさんはCDと私を見比べて、「あなたには売れない」と言ったのだ。
え?
頭が真っ白になった。ただただポカンと口を開ける私に向かってカウンターのおばさんは言った。
「〇〇さんとこの子でしょ? 知ってるのよ。お母さんがどれだけあなたのことで泣いて悩んでるか。バンドにハマってすっかり変わったって。ダメでしょ? そんなことでお母さん泣かせちゃ。だから、あなたが心を入れ替えてちゃんとするまで、このCDは売れません」
頭を思い切りブン殴られたような、その場で号泣してしまいそうな、同時に金縛りに遭ったような、そんな感覚が一斉に襲ってきた。何か言おうとしたけれど、口を開いたら泣き出してしまいそうで、唇を噛み締めて店を出た。そのまま急ぎ足で別のCDショップに行って、欲しかったCDを買った。レジにいたのはバイトらしき若い男性で、そこでは何の問題もなく買えた。
真冬で、雪が降っていた。まだ夕方だというのに夜のように暗い日だった。CDを買ったら大急ぎで家に帰って聴こう。何日も前からそれをずっと楽しみにしていたのに、帰る気になんかなれなくて、雪が降る道をあてもなく歩いた。
こんなこと大したことない。こんなこと大したことない。頭の中でずーっと呪文のように唱えていたけれど、もうこの町には自分のいられる場所なんて一つもないんだと思った。ここにいちゃいけないんだと思った。
膝から崩れ落ちそうなのを必死でこらえて、雪道を歩いた。外気に冷えた頬を、熱い涙が伝った。
行きたいライブも我慢してお金を貯めていたほどに、楽しみにしていたCDだった。メンバーのインタビューを貪るように読んで、ラジオで新譜の話を聞いては心待ちにしていたCD。それなのに、この田舎町では私が「親の言うことを聞かない悪い子どもだから」という理由で、お金を持っていても、喉から手が出るほど欲しいものを売ってもらえないというのだ。
しかも、「心を入れ替えてちゃんとするまで」って、あのババアが私の何を知っているというのだ。私の名前すら知らなかったあのババアが。私が中学でどれほどつらいいじめに遭っていたか、そんな私が自殺しなくて済んだのはすべてヴィジュアル系バンドに出会えて、彼らの音楽に救われたからだということなんて何も知らないくせに。
CDショップのおばさんと自分の母親が知り合いだなんて、それまでまったく知らなかった。だけど、言う必要もないほどに、小さな町では誰もが両親の知り合いなのだった。私はきっと、この町の大人たち全員に「悪い子ども」「親を泣かせる問題児」だと思われているのだ。
あれだけ楽しみにしていたCDは、封も切らずにしばらく放置していた。ただただ、とてつもない疲労感だけがあった。
その日以来どこにいても、みんなが私を監視して、みんなが私を怒っていると思うようになった。高校を出たら、絶対にこの町を出ていく。私はそう決めた。そうでないと、ずーっと両親の包囲網のもとで監視され、後ろ指をさされ続けるのだ。好きなものさえ手に入れられないのだ。
とにかく誰も私が「〇〇さんちの子」だと分からない場所に行きたい。どんなに冷たい扱いを受けてもいい。誰も助けてくれなくても、最悪ホームレスになってもいいから、このがんじがらめの地獄から抜け出したい。
そうして18歳で東京に出てきて、もう27年。帰りたいと思ったことは一度もない。だから、ふるさとに対して屈託なく話す人はどこか、眩しい。それでも、もし自分が震災や津波や原発事故という形でふるさとを失ったら、また違う思いが湧いてくるのかもしれないとも思う。
そんなことを考えていた頃、あるニュースを目にした。
それは香川県で全国初となる「ネット・ゲーム依存症対策条例」が可決されたというニュース。18歳未満の子どものゲーム時間を平日1日60分、休日1日90分までとする条例だという。
それを見て、またしても自分の高校時代のことを思い出した。