部下を泥酔させ、あるいは部屋に無理やり残して襲い、口止めをして「なかったこと」にする。この分野で働き続けたい人間であれば、自分に逆らうことは「社会的な死」を意味することまで熟知していただろう。
被害後のことについて、鈴木さんは「激しく動揺した」が、出張中だったのでその後は必死で「いつも通り振る舞った」という。木村さんは「その日は一日中、部屋で呆然とした」と語った。弁護士はホテルでの行為について「準強制わいせつ」と指摘した。どう考えても、逮捕されて当然のことだと思う。しかし、彼はその後も障害福祉の分野で「活躍」し続けた。
作家のアルテイシアさんは、『仕事の話じゃないのかよ「君は才能があるから…」を素直に受け取れない理由 』という原稿で、立場が上の男性からの誘いについて、以下のように書いている。
〈そもそも、まともな上司であれば「断りづらいだろう」と配慮して、異性の部下を部屋に誘ったりはしない。上下関係を利用して誘ってくること自体がセクハラなのだ。女友達は大学生の時、40代のゼミの教授から口説かれて、旅行に誘われたりしたという。「信頼して尊敬していた先生だったから、すごくショックだった」「当時はそれがセクハラだと気づかなかった」と振り返る彼女。若い女子は「お父さんみたいな年齢のおじさんが、自分を恋愛対象や性対象として見ないだろう」と思う。一方、仕事や学問上の信頼や尊敬を「恋愛感情」と錯覚するおじさんは案外多い。自己評価が高すぎて眩暈がするが、世の女性たちは注意してほしい〉
本当にまったくもってその通りで、障害者アートの世界の第一人者であり、厚生労働省や政治家たちとも太いパイプを持っていたという北岡氏を尊敬する従業員は多かったはずだ。しかし、それは恋愛感情ではない。なのに、一部のおじさんは「あなたの仕事を尊敬しています」を、なぜか「抱いて」に変換してしまう。完全に認知が歪みまくっているのだが、本人だけは気付かない。
私が初めて「尊敬」を捻じ曲げて受け取られた時の衝撃は、今も覚えている。それは18歳の時。当時の私は人形作家を目指し、教室に通いながらいろんな展覧会に足を運んでいた。そんな中、何かの展覧会で出会った画家だというお爺さん(別に有名ではない)が「今度個展をする」とハガキをくれた。「展覧会」などなく、展と名のつく催しなど文化センター前のトラクター展示会くらいしかない北海道の田舎から出てきた私はその個展に足を運んだ。個展とかする人ってすごい、という素朴な尊敬があった。
画家は「来てくれたんですか!」とひどく感激し、私を会場にいた爺友たちに紹介した。普通に楽しい時間だったのだが、後日、画家から届いたお礼状には、「あなたのような若い女性が来てくれて、あの後、仲を勘ぐられ、友人たちに散々冷やかされました」と書いてあった。
「はああああ?」
顎が外れる勢いで言った。尊敬は一気に吹き飛び、画家は「薄汚い勘違いジジイ」に一瞬で変わった。
ここで男性の方々に問いたい。
もしあなたが画家とかを目指していて、たまたま知り合った自分の祖母くらいの画家の女性の個展に行ったら後日、「友人たちから冷やかされちゃった」なんて浮かれた手紙が届いたら。「何言ってんだこのババア」って思うでしょ? そういうことなのだ。それなのに、勘違いしたまま暴走する人が一部いる。私の場合は手紙だけで終わったが、もし職場にこんな勘違い男がいたらと思うとゾッとする。しかも、それがどうしても続けたい仕事で、相手がその世界で莫大な力を持つ人間だったら。
障害者福祉という、「弱者」を守るはずの現場で続いてきた性暴力。提訴された本人はどの報道を見ても取材に応じず、窓口となっている人間は「係争中のため答えられない」の一点張りだ。
これから始まる裁判を、注目していきたい。
次回は2021年1月5日(火)の予定です。