一方、この「胎内記憶の主導者的な人物」は、保守的な家族観を押し出した一般財団法人親学推進協会の特別委員でもあることも付け加えておきたい。
次は「自然なお産」。
できるだけ医療や医薬品に頼らずに女性が主体的な意識を持ってお産に向き合うことを指している。
「自然なお産」がスピリチュアル市場で注目されるきっかけは、10年に公開された河瀬直美監督の『玄牝(げんぴん)』という映画。医療器具にほとんど頼らない出産を目指す医院で「自然なお産」に挑む女性たちを記録したドキュメンタリーだという。
それだけ聞くと、「良さそう」に思えるかもしれない。しかし、妊娠・出産をめぐるスピリチュアル市場には非科学的だったり根拠に乏しい情報が散見される。
例えば昔の女性は月経血コントロールができたというもの。畳で生活したり、着物姿の所作の中でおのずと筋肉が鍛えられていたなどの主張を聞くと、思わず「エビデンスは?」と問いたくなってくるのは私だけではないだろう。
さらには〈「昔の女性」は生活のなかで体が鍛えられていたから、スムーズに妊娠・出産ができた〉という話も多いようだが、これも眉唾モノだ。著者も〈むしろ、死産の割合から見ると実態は逆であると考えるのが妥当である〉と書いている。医療の発達によって、死産や出産時の母親の死亡は劇的に減っている。そのことは、この問題にまったく詳しくない人でも共有している事実だろう。
それではなぜ、女性たちはスピリチュアルな世界に惹かれるのか。それを著者は「フェミニズム」が取りこぼしてきたものと指摘する。
〈フェミニズムは一貫して、女性に育児や家事を一方的に担わせることを批判してきた。 〉〈母になることを全面的に肯定するということは、フェミニズムがここ三〇年の間で実現できなかった、あるいはしてこなかった出来事でもあった 。〉〈妊娠・出産を必ずしも肯定してきたとは言い難いフェミニズム 〉―確かにそうだ。
一方で〈特に「子宮系」においては、保守的な「女性らしさ」を身につけることで女性としての自分に自信をつけたり、社会のなかに確固たる居場所を見つけたりすることが目指されている。これらはいずれも、「女性らしさ」を束縛するものととらえ、そこからの女性の解放を目指すフェミニズムとは対極に位置する。 〉
長らく、スピリチュアル好きな女性たちが、どうして自分の子宮や身体という内側にばかり目を向けるのかが不思議だった。そしてなぜ、「女は子どもを産んでこそ一人前」という保守的な空気に抵抗するような姿勢が見えないのかも。
しかし、そんなスピリチュアル系人気そのものが〈女性たちの葛藤〉そのものであり、〈女性たちが前向きに諦めようとする態度だ〉と著者は書く。
〈あらかじめ変容への心づもりをしておけば、妊娠・出産に迷ったり悩んだりすることはないかもしれない。さらに、「家庭」という枠組みの外側に対する期待、例えば妊娠・出産する女性や育児への社会的支援、キャリアに変容をきたさない職場環境の形成などに対して、最初から当てにしないで済む。その上で、妊娠・出産する身体に聖性が付与されるなら、この身体性を生きることにもそれなりに価値がある、というようにとらえることができるだろう。〉
ここまで書いて、改めて、自分のことを考えた。
25歳でデビューしたフリーランスの書き手である私にとって、「妊娠・出産」という選択肢は、ほとんどSFと言っていいくらいにリアリティのないものだった。
完全歩合制で日銭を稼いでナンボ、忘れられたら終わりの商売。かなりの売れっ子であればしばらく休んで産むという選択もあるだろうが、私自身は妊娠・出産なんかしたら仕事が途切れて産んだ子とともにリアルに死ぬと思っていた。その上、私は就職氷河期のロスジェネ。ただでさえ妊娠・出産へのハードルが高い世代だ。
そしてそれは、周りの非正規女性たちとも共通する感覚だった。「そうとう守られている大企業の正社員であれば妊娠や出産を考えられるかもしれないけど、自分も彼氏も非正規という状態で妊娠、出産とか異次元の話」という声をどれほど聞いてきただろう。
ここに、ロスジェネ女性の苦悩を記した一文があるので紹介したい。
「いちばん働きたかったとき、働くことから遠ざけられた。いちばん結婚したかったとき、異性とつがうことに向けて一歩を踏み出すにはあまりにも傷つき疲れていた。いちばん子どもを産むことに適していたとき、妊娠したら生活が破綻すると怯えた」
社会学者の貴戸理恵さんが『現代思想』(青土社、19年2月号)に書いた原稿「生きづらい女性と非モテ男性をつなぐ――小説『軽薄』(金原ひとみ)から」の一部だ。
これはそのまま私の実感にもあてはまる。
もしかしたらそんなロスジェネ女性の苦境を見ていたからこそ、今、少し下の世代によって「妊娠・出産をめぐるスピリチュアル市場」が成り立っているのかもしれない。
女の人生は、予期せぬ妊娠で180度変わることがある。そういうことに振り回されうる女の人生に、この社会の制度は何一つ追いついていない。そしてフェミニズムは「非正規など不安定さゆえに結婚や出産を考えられない」という声に答えてこなかったとも言える。そこをぴたりと埋めたスピリチュアル系。
そう思うと、問題の根深さに頭を抱えたくなってくる。