が、夫から逃げている上、今は2人の子連れだけどゆくゆくは子どもと6人で暮らしたいという「訳あり」な女性に部屋を貸してくれるところはなかなかない。
一方、DVシェルターに入るという選択肢もあった。DVシェルターとは、DV被害者を保護する施設で2週間ほど滞在できる。その間に住まいを見つけて出ていくという流れだ。が、中学生の息子がいる吉祥さんは入れなかった。小さな子どもだったら一緒に入れるが、中学生男子ともなると他の入所者が怖がる可能性があるからだ。役所から言われたのは、「子どもは児童相談所が預かるか、友達の家を渡り歩いてもらって2週間過ごして」というありえない選択肢。「無理です」と言うと、「あなたにできることはありません」で終わり。
「中学生の娘」であればシェルターに一緒に入れただろうに、息子という理由で入れない。これはDV支援における大きな落とし穴ではないだろうか。
ここまでで、彼女を助けてくれた行政や制度、支援団体は何ひとつ、なかった。そんな中、彼女は痛切に思ったという。
「役所は役に立たないし利用できる制度もない。この時、自分の問題が解決したら、自分がしてほしかった支援を実現してやるって思いました」
その後、紆余曲折を経て、彼女は5カ月ぶりに下の3人の子どもも取り戻す。両親に子の世話を任せきりだった夫が、離婚調停で子どもを渡すことに合意したのだ。離婚も成立、部屋も借りることができ、母子6人でやっと新しい生活が始まった。
が、それで終わりではなかった。ある日、彼女がつとめる会社に夫が怒鳴り込んできたのだ。彼女が週刊誌で取材を受けたDV被害についての記事が目に入り、激怒したらしい。数日後、そのことを知った彼女は「穴があったら入りたいくらい恥ずかしくて」会社に行けなくなる。もう辞めるしかないと思っていたら、意外なことが起きた。
「社内の人から励ましの社内メールがたくさん来たんです。私もDV受けてますとか、週刊誌読みました、同じ経験ありますとか」
それがきっかけで、メールをくれた女性たちと集まるようになった。その集まりがのちの「エープラス」になっていったのだという。
「そこで、お互い大変だったよねって話したり、こういう制度が使える、こういういい弁護士がいる、夫にこう言われたらこう返せとか情報交換をしたんです。それが本当に心強くて。今まで酷い目に遭ったけど、私が受けたかったサポートはこういうものなんだなって」
そのうちに、社内外からも相談が入るようになる。公民館を借りて相談を受けるようになり、団体名が必要だということで「エープラス」と名乗るようになったのが06年。また、新たな知識を得るためにみんなで手分けして勉強会に参加するようになり、そこで吉祥さんが運命的な出会いを果たしたのが「加害者プログラム」だった。
「その勉強会に行った時、頭をガーンと殴られた気がしました。DV加害者だった男性たちがプログラムを受けて変わりつつあり、また夫婦で暮らしているという話をしていて『これだ!』って思いました。私は、当時は夫が変わってくれたら離婚したくなかったんです。でも、役所の人には『そういう考えは甘い』って言われて。DV防止法にのっとった支援では、相談→保護→離婚というのが王道で、別れない選択肢はないんですね。でも私は、DV被害に遭っても別れないって選択肢も必要だと思ってたんです」
そうして吉祥さんは加害者プログラムを学び、自らが「実施者」となる。ちなみにこのプログラムは30~40年前、アメリカやカナダ、北欧で始まったもの。日本では02年に導入された。
参加するのは加害男性だが、自ら来る人はほとんどいない。「これを受けるか、離婚するか」を妻に突きつけられ、最初は嫌々参加する。3回の面談で本気度を確認し、心理教育もする。どのような言動がパートナーを怖がらせるかを認めて理解し、また、イラッとした時にはその場を離れるという「タイムアウト」などの訓練にも取り組む。男性の本気を確認すると、週1回、最低52回のプログラムが始まる。加害男性数人でグループとなり、「どうやってDVを身につけたか」「暴力で人を支配できると知ったのはいつか」などを振り返り、教材を使いながら「パートナーのダメージを理解」し、「暴力のない関係性を作るにはどうするか」学んでいく。52回が終わっても卒業とは限らない。卒業の条件は、暴力や支配ではない対等の関係が築けて、かつ妻のOKが出ること。現在、最長で12年通っている人もいるという。
「見ていると、加害者は作られていくということがよくわかります。人によって何歳頃、どういう影響を受けたかも違うんですが、みんなトラウマに近いような体験を持っている」