とにかく、当時の私はそういう日々を送りつつリストカットまでしていたのだから「量産型」という言葉しか出てこない。当時は本気で苦しいと思ってたけど、これではわざわざ不幸に不幸を上塗りしにいっているようなものではないか。一方、自分が苦しい理由をなんとか「恋愛的なもの」に置き換えたかったのかもしれないとも今になって思う。
そんな当時のことを、後悔はしていない。あの頃の私には、そんな自傷的な日々は必要で、それでなんとか生き延びたと思うからだ。 安定とか将来とか、優しくて誠実な彼氏とか、そんなものは1ミリも求めていなかった。人間には「正しさ」とは無縁の季節があると知っているから、私は「ホス狂い」などを頭ごなしに否定する気にどうしてもなれない(もちろんひどい搾取をする側が非難されるのは当然だが)。本人こそが異常さの中にいることを充分に自覚しているのだ。だからこそ、「異常」と言われれば言われるほど、汚れた自分はもうそこにしか居場所がないのだと固執する。私自身、そんな時期を通して失ったものは多くあるけれど、あの時期にしか得られない最高に甘美な瞬間も知っている。そしてその記憶は、時に人の命を救うくらいの力がある。しかし、あの頃の自分を知っている人とは二度と会いたくはない。そんな季節。
22歳、私はそんな状況から脱したのだが、きっかけは右翼団体に入会したことなのだから穏やかではない。そう、次の依存は「思想」だったのだ。なんだこれ、自分で書きながらびっくりだが、一言でいうとここまで書いたような日々に飽きたのである。
そんな私がライヴハウスの代わりに通うようになったのは、当時できたばかりのトーク居酒屋「ロフトプラスワン」(東京都新宿区)。90年代当時、そこでは連日のように右翼や左翼などをゲストにイベントが開催されており、多くの文化人と知り合うことができた。これは何度も書いているが、そんな中で出会った作家の見沢知廉氏(故人)は突然、「お前のように何者でもない人間は革命家になるしかない!」と言って私を右翼団体にブチ込んだのだ。
といっても無理やり入れられたわけではない。集会で、右翼の人は「お前らが生きづらいのは、アメリカと戦後民主主義のせいだ!」と力説。それまで、自分が誰にも必要とされずフリーターで(当時はバイト生活)生きづらいのは全部自分のせいだと思っていたのに、右翼は突然「お前は悪くない」と私を免責してくれたのである。なぜアメリカなのか、戦後民主主義がなんなのか、そこからさっぱりわからなかったけれど、右翼に入るとリストカットが一発で治ったではないか。「右翼療法」だ(これは私にしか効き目がないと思うので誰にもオススメしません)。
そうして突然「国のために生きる」ことに目覚めた私は2年間、その団体で活動。ある意味、「自分の頭で考えなくていい」2年間は楽だった。が、最初は右翼と左翼の違いすらわからなかったものの、2年もいればぼちぼちわかるようになってくる。そんな過程で「自分は右翼ではないな」と気づき、脱会。そうしたらあっという間にリストカットはぶり返したものの、そんな頃に物書きデビューの話が舞い込む。右翼団体をやめるまでの過程がドキュメンタリー映画になり、本を出さないかという話が来たのだ。
そうして25歳で1冊目の本を出し、デビュー。この本ではこれまでの自分の恥を晒しまくった。ここまで書いたようなことから中学時代のいじめなど。そうしたら、「自分も同じ経験がある」「同じ生きづらさを抱えている」という声が多く届いたのだ。
この瞬間が、私が「問題を開いた」時だったと思う。恥を晒すことで、生きづらい人たちと繋がったのだ。繋がりは万能の薬である。
そうして執筆が、自己治療のような効果をもたらしていく。数年も経つ頃には、リストカットはせずに済むようになっていた。吐き出し口が「書くこと」にシフトしたのだ。
決定的だったのは、29歳、近所で生後1カ月の子猫を拾ったことだった。このことが私を劇的に変えた。まず、子猫が生きているのが楽しくて嬉しくて仕方ないという様子に衝撃を受けた。それまでの私にとって生きることは苦行だったからだ。なのに小さな子猫は全身で生きる喜びを体現している。
また、子猫が私を無条件に「信頼している」ことも衝撃だった。私の胸の上で無防備に眠る子猫の姿を見た瞬間、何か大いなるものに許された気がした。この子の信頼にたる人間になろう。生まれて初めて、そんなことを思った。
そんなふうに猫によって変わりつつあった私だったけれど、物書きになってからはアルコールに長期にわたって依存していた。
もともとが対人恐怖的なところがあるため、シラフで人と話すのが苦手というのがひとつ。今も仕事の打ち合わせや講演、イベントなんかで話すのは平気だが、誰かとシラフで目的なくお茶を飲むなんてのは苦痛でしかない。
もうひとつは、不眠だ。
もともと極度の小心者。物書きになってからは、寝る前、「あれ、間違ってなかったかな?」「あの書き方で大丈夫だろうか」などとすでに送った原稿の内容が気になって眠れないことが多くなった。それがお酒を飲めば眠れる。嫌なことも忘れられる。そんなことから四半世紀近く依存し、飲酒量も増え続けてきたのだが、コロナ禍でさらに増えた時期を経て、急激にお酒に弱くなり(加齢?)、今、量を減らすことに成功しつつある。周りからお酒で身体を壊す人が出てきたことも大きい。楽しく飲み続けるために、以前より適量を心がけている日々だ。
ということで、今、私が主に依存しているのは猫だ。この、猫という愛らしい生き物に出会い、依存先として「軟着陸」させてもらったことで私は生き延びたと思っている。
特にいいのは、どれほどもふもふして肉球の匂いを嗅ぐなどしても、借金地獄になったり健康を害したりしないこと。マイナス面といえば「寿命がある」ということだ。