そんな衝撃の中、思い出していたのが昨年末に読んだ『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』(幻冬舎新書、2024年)。著者は鈴木大介氏。『最貧困女子』(幻冬舎新書、2014年)などの著書があるルポライターの鈴木氏は、15年に脳梗塞を発症。高次脳機能障害の当事者となりつつも、『脳が壊れた』(新潮新書、2016年)など自身の経験を綴る著作を発表してきた。
そんな著者が『貧困と脳』の前書きでまず綴るのは、これまで取材してきた貧困当事者に対する「なぜ?」という疑問だ。
〈なぜ彼らは、こんなにもだらしないのか? なぜ、何度も何度も約束の時間を破って遅刻を重ねるのか? なぜ即座に動かなければ一層状況が悪くなるのが目に見えてわかっている場面で、他人事のようにぼんやりした顔をし、自ら動こうとしないのか?(後略)〉
どれもこれも、一般的には「本人の資質」とされ、「自己責任」と突き放されそうなことだ。しかし、脳梗塞を発症し、「不自由な脳」の当事者となった鈴木氏は、「なぜ」と思い続けた彼女ら彼らとほぼ同じ状況に陥ったと書く。
〈約束や時間を守ろうとしても守れなくなり、思うように働けなくなった。人と他愛ないコミュニケーションを取れなくなり、簡単な文章を読み解けず、単に人混みを歩くことすらできなくなった。自分でも「どうして?」と思うほど当たり前の日常的タスクがまるっきりできなくなった。そしてそんな僕自身の感じる圧倒的な不自由感は、かつての取材の中で対象者らから散々聞き取っていた訴えと、あまりに一致していた〉
ちなみに鈴木氏が抱える高次脳機能障害は、〈脳神経細胞が虚血し死滅したことによって、脳の認知機能・情報処理機能が低下したことによる障害〉。障害者手帳の分類としては精神障害者となるそうだ。
そんな鈴木氏が高次脳機能障害と診断されて経験したのは、「買い物の会計ひとつできない」という現実だった。
〈入院病棟内にある小さな売店で、僕は店員が口にした、そして目の前のレジスターに液晶表示されているたった3桁の支払い額を、財布から出すことができなかった。店員が「788円です」と言う。だが手元の小銭入れに目を落とした瞬間、もう788の数字が頭にない。液晶表示で再確認しても、目を離した瞬間に788は頭から消える〉
〈焦れば焦るほど頭が真っ白になり、小銭を数える手が異様に震えた〉
そうして鈴木氏は、過去に取材した人々の中に自身と同じ「脳の不自由」を抱えた人が多くいることに気づき、「どうしてそれを、わかってあげられなかったのだろう」と悔いるのだ。
そのような脳機能の低下や、健常と言われるスペックよりも情報処理が損なわれることは、〈先天的な発達障害、僕同様に中途障害であるうつ病や統合失調症等の精神疾患や、認知症などでも同様なはずだ〉 と鈴木氏は書く。
そうしてそんな「不自由な脳」で生きる結果として、人は高確率で貧困に陥るという現実に改めて気づくのだ。
ちなみに当然ながら、貧困当事者が皆、脳の不自由を抱えているという話ではないので誤解なきよう。が、私も貧困問題に約20年関わる身。高次脳機能障害をはじめ、「脳の不自由」によって失業したり家族を失ったり人間関係を壊してしまったりで困窮に陥ったという人とは幾度か会ってきた。
というか、自らそう説明できるケースは非常に稀で、今思い返すと、「あの人もそうだったのかもしれない」というケースが思い浮かぶ。
支援者や役所の人に攻撃的で常に自分の立場を悪くしてしまったり、何度約束してもドタキャンが続いて支援者や行政から匙を投げられたり、路上生活をするほど困窮しているのに、ホストに貢ぐことをやめられなかったり、等々。明らかになんらかの配慮や支援が必要なのに、そのようなセーフティネットにひっかかれていなかった人たち。
本書には、そんな「脳の不自由」を抱えた人たちが多く登場するのだが、読んでいてある人を思い出した。
それはこの連載でも何度か取り上げてきた、私の師匠である見沢知廉氏。 1990年代後半から2000年代にかけて活躍した作家だ。1959年生まれで、10代の頃から左翼活動に参加するも、20代前半で右翼に転向し、新右翼の統一戦線義勇軍にてイギリス大使館火炎瓶ゲリラ事件やスパイ粛清事件を起こして12年の獄中生活を送る。獄中で執筆した小説が新日本文学賞の佳作となったことをきっかけに、出所後、作家デビュー。96年に出版された獄中手記の『囚人狂時代』(ザ・マサダ)はベストセラーとなり、97年に発表した『調律の帝国』(新潮社)は三島賞候補になるなど目覚ましい活躍をしていた。
しかし、2005年、マンション8階から飛び降りて死亡。享年46。
そんな見沢さんは死の数年前から連載の締め切りを破る、イベントなどをことごとくドタキャンする、個人的な約束を失念する、そのことを責められると逆ギレするなど、周りの人に不義理の限りを尽くすようになった。
当然、晩年の彼からは多くの人が距離を置くようになり、私もかかってくる電話を取らないことが増えていった。話が支離滅裂だったり、突然攻撃的になったりするからだ。
が、今思えば、当時の見沢さんも「不自由な脳」を抱えて困惑していたのではないか。
実際、見沢さんはドタキャンしたり締め切りを守れなかったり何日間も起き上がれなかったりすることについて、医者から「脳疲労」と言われたと強調していた。これはそういう症状であって、甘えているわけではないのだ、と。
しかし、当時の私も周りの人たちも、馴染みのない「脳疲労」という言葉を真剣に取り合わなかった。自分のだらしなさを「病気のせい」にしてごまかそうとしている、ドタキャンなどは売れっ子作家ゆえの「おごり」である一一私もみんなも、そんなふうに思っていた。