一方で、受け入れられたい世界に受け入れられなかった時の脆さも私たちは知っている。1998年、年間自殺者が3万人を突破したことは前述した通りだが、その時に増えた自殺者の多くが中高年男性。企業社会的なものから見捨てられた時、一気に心が折れてしまうのだ。
さて、さんざん年配男性について書いてきたが、このようなメンタリティは下の世代であってもいわゆる「成功者」には受け継がれている気がする。一方で団塊女性はと言えば、性別や年齢や時代を言い訳にいろいろなものを諦めさせられ、飲み込んできたという印象だ。そこに男性たちのような屈託のなさはない。
最後に書いておきたいのは、ロスジェネとそれ以降の世代の剥奪感のやっかいさだ。
前述した小田急線の事件の犯人は「幸せそうな女性を見ると殺したくなった」と言ったが、ネット上には昨今の「#MeToo」などを受けて男性が攻撃されていると感じ、フェミニストを執拗に叩いたり、女性蔑視を隠さない男性たちも多く存在する。
ロスジェネ世代である批評家の杉田俊介氏は、著書『男がつらい! 資本主義社会の「弱者男性」論』(ワニブックス、2022年)で、いわゆる弱者男性たちに「ぼくらは戦うべき敵を間違えるべきではない」と呼びかけている。
「恋愛によって異性から救ってほしいとか、有名人になって一発逆転しなきゃとか、排外主義者やインセルやアンチ・フェミニズムの闘士に闇落ちするとか」の貧しい選択肢に走るのではなく、自分の弱さを受容し、肯定しようと。
経済成長時代を生き、「日本経済」という下駄を履いていた世代と違い、ロスジェネとそれ以降の男性たちが自らを肯定していくには、これまでのやり方は通用しない。
が、昭和的な男らしさが「有害」なものとなった今は、男性たちにとっての大きなチャンスという気もするのだ。
「男らしさの鎧」から自由になった同世代以降の男性が模索しながらどんな道を切り開いていくのか、私はちょっと楽しみでもある。