49歳の長男を亡くした女性は、最近、やまゆり園の慰霊碑に息子の実名を刻印したという。事件後多くが匿名を貫いた犠牲者たちだが、今になって、実名を慰霊碑に刻む遺族も増えている。彼ら彼女らの「生きた証し」のひとつだ。
「障害者は不幸を作ることしかできない」――。そう主張して事件を起こした植松だが、施設に勤め始めた当初は障害者を「かわいい」と言っていた。が、「1日中、車いすに縛られ」ていたり、「食事もドロドロ」という状況を知るにつれ「かわいそう」と言うようになり、それが突然「殺す」に飛躍した。
2年ほど前、私はやまゆり園の入所者が事件後に移った別の施設を訪れている。
そこには、「1日中、車いすに縛られていた」女性も移ってきていた。やまゆり園ではずっと拘束されていた彼女は、新しい施設で拘束を解かれ、リハビリを受けて歩けるようになり、資源回収の仕事をするほどに元気になっていた (その様子を撮影した映像を見せてもらった)。
変わったのは彼女だけではなかった。やまゆり園では「手がつけられないほど暴れる」と言われていた強度行動障害の若者たちは、リサイクルの仕事に汗を流していた(こちらは実際に見学した)。やまゆり園とは違い、毎日作業に行き、仕事に汗を流して「お疲れさま」と言われる日々。障害に深い理解のある職員たちの支援を受けることによって、彼ら彼女らの生活の質はびっくりするほど上がっていた。
このような環境で生き生きと過ごしている姿を見ていたら。植松はおそらく、「かわいそう」とは思わなかったのではないか。そうしたら、あんな事件は起こらなかったのではないか。
そう思って、橋田氏の言葉を反芻する。彼女が「人に迷惑をかける」ことを異様に恐れたのは、老いて身体が動かなくなった時、尊厳のない状態で放置され、嫌々介護する人に乱暴に扱われると思っていたからではないだろうか。
残念ながら今もそのような施設や病院は存在する。それはそれで改善しなければならない大問題だが、とにかく私たちは誰もが病み、老いていく。障害を持つことだってある。その時に安楽死しなければいけないと思う社会ではなく、ちょっとくらい老いても病んでも自分らしく生きられるような社会の方が生きやすい。
そのためには、「これができなければ生きる価値がない」という自らの思い込みからまず解放される必要があるのではないだろうか。
仕事が減っても役に立たなくても誰かの世話になったとしても、「生きてていい」と思えること。
そうじゃないと、これから先の人生、辛いことばかりになってしまう気がするのだ。