聞きたいこと、知りたいことはたくさんある。韓国産業経済研究所の事件に関わっていないなら、なんの事件に関わったのか。なぜ、出頭よりも逃亡生活を選んだのか。今、東アジア反日武装戦線の起こした事件をどう思っているのか。被害者や遺族への思いはどんなものなのか。
問いたいことはまだまだある。連続企業爆破事件の少し前には、連合赤軍事件が起きている。凄惨な仲間殺しが発覚したことで世間は学生運動にドン引き。その数年後に起きた東アジア反日武装戦線の一連の事件はそのドン引き度をさらに強固にしたわけで、その後、若者に「政治」が禁じられるような空気が日本を覆い尽くす。その過程で若者たちは「革命」ではなく「消費」に邁進していくわけだが、そんな空気の中では、若者が社会の矛盾に疑問を持ち口にしたとしても「社会のせいにするな」と一笑されるようになっていく。それがのちの「自己責任」社会の構築に一役買い、さらには団塊ジュニアを生きづらくさせる大きな要因となったわけだが、そのあたりについてはどう思っているのだろうか?
叶うことなら、そんな質問を投げかけてみたかった。
だけど、彼の死によってすべては闇の中だ。
半世紀前の熱狂の最後の「戦後処理」。それが令和6年、終わった。