一方、雑誌『世界』25年2月号(岩波書店)に掲載された社会学者・伊藤昌亮(まさあき)氏の「『オールドなもの』への敵意 左右対立の消失と新たな争点」という原稿も興味深い。
サブタイトルにある「新たな争点」のひとつは、世代間対立。が、それだけではない。
〈高齢者、テレビなどのマスメディア、地方議会、公務員などがひとからげで「オールド」視され、「既得権益」の上にあぐらをかいている「既成権力」として〉少なくない人々に攻撃されているわけだが、それが大々的に展開されたのが都知事選と兵庫県知事選であることが指摘される。
振り返れば石丸伸二氏は「若者応援」「老害批判」を展開し、斎藤元彦氏は、県議会や県庁など「既得権益層」と対峙する存在として演出された。
そうして、〈高齢者への過度な再分配のために現役世代が過度な負担を強いられ、そのせいで自分たちの生活が苦しくなっている〉と感じる現役世代がなぜリベラルを支持しないかが分析される。
〈昨今のリベラル派はとりわけ多様性の観点から、マイノリティを苦しめている文化的な弱者性にばかり目を向け、彼らを苦しめている経済的な弱者性のことを気にかけているようには見えないからだ。そうして「誰が弱者なのか」を一方的に決め、自分たちが守りたいものだけを守ろうとしているように見えるリベラル派の中に、彼らは強い権力性を見出し、さらにそこで守られている存在、すなわちマイノリティの中に「既得権益」を見て取る〉
詳しくは『世界』を読んでほしいが、この傾向は黒人や女性、LGBTQなど「アイデンティティー集団」の権利擁護を求めてきたアメリカのリベラルの限界、という話とも通じるものだろう。
さて、それではリベラルと言われる人々はどうすればいいのか。前述した中村氏は、原稿終盤で〈重要なのは伝え方だと思う〉と書いている。
〈リベラルは丁寧に親切に、優しくなるのはどうだろう。ユーモアもあるといい。リベラルを嫌う人の内面構造を理解し、拒絶や押し付けではなく包括し、リベラル側へと少しずつ誘うイメージはどうだろう〉
同感である。私もある媒体で、「トーンポリシング」(相手に「そういう話し方だからダメなんだ」などと批判して論点をずらすやり方)と批判されるのを覚悟で「伝え方」の見直しについて書いた。上から目線や攻撃的な言葉は、共感よりも反感を生んでしまうからだ。
さて、今年は3月に千葉県知事選と福岡県知事選が、そして夏に東京都議選と参議院選挙がある。リベラル陣営にとって、多くの有権者の共感を得られるかの正念場だ。
そんな選挙を前にして、1月、兵庫県知事選に絡んで多くの誹謗中傷に晒されていた元兵庫県議の竹内英明氏が命を落とした。自殺とみられているという。
SNS社会になって、フェイクとデマと誹謗中傷の嵐が吹き荒れる場となった選挙。
そんな時代においてここから何ができるのか、絶望しそうになりながらも、考えている。