ところが腫瘍は消えず、妻の説得に応じて手術を受けることになった。先ごろ、本人公認の伝記が出版されたが、それに先駆けてアメリカのテレビに出演した著者のウォルター・アイザックソン氏は、ジョブズ氏が後々その9カ月を「後悔していた」と語った。
なぜ、ジョブズ氏は最初から西洋医学を信用せず、懐疑的な態度を取ったのだろうか。ジョブズ氏ともなれば、世界の権威に治療してもらうこともできたはずであったのに。
その答えは、ジョブズ氏が「パソコンの成立そのものとかかわっている人だから」となるだろうか。ジャーナリストのジョン・マルコフが書いた『パソコン創世「第3の神話」 カウンターカルチャーが育んだ夢』(服部桂訳、NTT出版、2007)を読むまでもなく、そもそもパーソナルコンピューターは、既存の文化や権威に抗おうとするカウンターカルチャーの動きの中から生まれたものなのだ。言うまでもなく、カウンターカルチャーは、自然主義やエコ、またインド哲学や仏教などの東洋思想とも深く関係している。
1955年生まれのジョブズ氏は、60年代から70年代にかけて花開いたこの文化にどっぷりつかってすごし、コンピュータービジネスにかかわり始めた74年にはインド放浪の旅にまで出かけている。その後も、禅に傾倒したり自然食主義になったり、と彼のカウンターカルチャー好きはまさに“筋金入り”なのだ。
こういった人たちの中には、合理的すぎる科学主義や、機械的に診断や治療が進められがちな近代医学に、拒絶反応を示す人も少なくない。そう考えれば、“パソコンの父”とも言えるジョブズ氏が「手術?とんでもない。からだにいい食べ物や飲料で治してみせるよ」と最初から代替療法を選んだとしても、さほど不思議ではないのである。
ジョブズ氏の選択については、今になってアメリカの医療サイトなどでも賛否両論が渦巻いているという。中には「彼がわずらっていたグルカゴン産生腫瘍は進行もゆっくりで、早い段階で手術をしていれば、完全に治癒した可能性もある」と、彼の選択じたいが命を縮める結果になった、と主張する人もいる。また逆に、「命の長さうんぬんより、彼自身が選択したことが大切」とその初期の決断を評価する人もいるそうだ。
ここでジョブズ氏本人も、「これで悔いはない」と最期まで自然食療法などを続けていたら、それはそれで私たちも納得できたかもしれないが、何といっても自ら「悔いている」と告白しているのがやや痛ましい。また、診断が確定した時点で、この世界の頭脳に「手術を受けることにはこれだけメリットがある」とその利点をきちんと説明し、人間的にも信頼を得ることができる医師がいなかったのも、残念なことだ。
いまは日本でも、「手術や抗がん剤はとにかく悪いもの」と考え、医療に背を向ける人たちがいる。精神医療では、「クスリはやめてください」と拒絶する人は、次第に増えているのではないだろうか。もちろん、そうやって患者さんたちの不信感をつのらせるような現代の医療にも大きな問題があるのだが、いくら本人の選択とはいえ、明らかに病状が悪化すると思われるほうを選ぶ人がいるのは、私自身、医師としてとても残念である。
カウンターカルチャーとともに生き、そして人生を閉じたジョブズ氏。この後、彼はどんどん神格化されていくのだろうが、それに伴って医療を否定する声までが高まることがないよう、願っている。