大好きな彼に「貢いでいる」状態なのだという。
彼は5歳年下で、いわゆる「やりたいことがある系」の人。彼女はというと、私にはよくわからないものの、ある国家資格を持ち、独立してバリバリ働くいわゆる「キャリアウーマン系」。今まで結構モテてきたし、世間でいう「高条件の男性」ともお付き合いをしてきた。
そんな彼女がメロメロになったのが、お金はないけど「顔がものすごく好み」で「一緒にいるだけで楽しくて、うっとりして、もうどうにかなっちゃいそう☆」な今の彼。で、「お金がない」といわれるたびに、数万円とか渡してしまうのだという。
そのことについて「どう思う?」と問われたのだが、みなさんならどう答えるか。そして、そんな状況自体をどう思うだろうか。「そんなのって絶対ムリ!」という人もいるだろうし、「利用されているだけでは?」と心配する人もいると思う。
が、私は答えた。
「全然いいんじゃない?」と。理由はいろいろある。
まずは経済力の問題。自分が貧乏なのに、自らの生活費や食費を削ったり、果ては無理して仕事を増やしたり、借金したりしてまでそんなことをしていたら、何を差しおいても「馬鹿なことをするな!」と止めるが、彼女の経済力なら大した額ではないからだ。
もうひとつは、その彼と出会ってから、彼女がメキメキと綺麗になったから。以前は、たまに仕事に疲れた様子が垣間見えたのに、今はお肌はつるつる、そして何か全身から醸し出しているオーラが前とまったく違うのだ。
とにかく、その彼が「ものすごいエステ効果」を彼女に与えていることは、間違いないのである。ひと月に数万円。それでこれほどの美容効果をもたらすのであれば、安いエステ代ではないだろうか。
また、話を聞いている限り、彼には「だます」「利用する」というような意図は見えず、彼女のことを大切に思っていることが伝わってくる。彼女が苦手な分野のことでいろいろ助けてもくれたりするそうで、ギブ&テークが成立している。少なくとも、「金ヅル」として利用している気配はなく、彼も「やりたいこと」を頑張っている様子が伝わってくる。
というような理由から、私は「大賛成」し、彼女も「そうだよね! 全然いいよね!」と何かフッ切れたようにほほ笑んだのだが、「だけど、絶対引く人もいると思うから、なかなか言えないんだよね……」と、ちょっと寂しそうな顔になった。
そんな話を聞いて、ふと思った。これが男女逆だったら、果たして「人になかなか言えない話」になるだろうか? 答えはどう考えても「NO」である。
バリバリ稼いでいる男性が、「夢を追っている」年下の女の子を、経済的にも応援してあげる。ただのいい話というか、「ふーん」というか、世間的には「男の株」が上がるような話として捉えられることが多いだろう。少なくとも「引かれるかもしれないから、人にはなかなか言えない話」では決してない。
これが男女逆になっただけで、たちまち「余計なこと」を言う人が増える不思議。男が女を食わしていたら「株が上がる」のに、女が男を食わすと、なぜか「みじめ」とか「かわいそう」とか、しかも女の方が年上だったりしたら勝手に「欲求不満なのでは」といった目で見られるのだから、意味がわからない。
先ごろ、スイスに本部をおくシンクタンクの世界経済フォーラムが2010年の「男女格差報告」を発表したのだが、日本は調査対象の135カ国中101位。先進国や主要国の中でも最低の評価だった。女性の議員が少なく、企業の幹部にも女性が少ないことなどがその理由だという。
先進国の中で、もっとも男女格差が開いている国。当然、女性の選択肢を狭め、結果的に生きづらさにもつながっていくだろう。
そもそも働く女性の半分以上が非正規雇用で、女性の賃金は非正規まで含めると、男性の約半分というデータもある。そのうえ、単身女性の3人に1人が貧困、ということも11年末に発表された。
さまざまな社会的悪条件が重なり、女性は男性に頼らないと、どうしても不利になるような構造になっているのだ。だからこそ、「女を食わせることができる男」は羨望(せんぼう)のまなざしを向けられ、「男に貢ぐ女」という希少な存在は、奇異な目で見られてしまう。
これが、男女格差が少ない北欧諸国だったらどうなのだろうか。やっぱりそういう国でも、事情はあまり変わらないのだろうか。興味深いところである。
ちなみに私が彼女と同じ立場だったら、同じことをすると思う。しかも、かなり喜んで。だって好きなら仕方ない。そう言うと、その場に同席していた別の同世代女子が言った。
「そんなことしたら絶対つけあがるっていうか……もっと駆け引きとかして、自分がいい思いしたらお金あげるとかにしたほうがよくない?」
いわゆる「交換条件」の提案である。だけど、「愛」を取引の道具に使うと、それはすぐにニセモノになってしまう気がする。どっちも計算して、いつの間にかずるくなって、その関係はきっと色あせてしまう。
急に話が大きく変わるが、そもそも私は現在の「資本主義」のあり方そのものに大いなる疑問を持っている。
2011年9月、アメリカで「我々は99%だ」を合い言葉に、反格差を訴える運動が始まったが、世界的に見ても1%の人が莫大な富を得る一方で、99%の人が貧しくなっているという状況がある。「分配」のやり方が、どう考えたって間違っているのだ。そうして投機マネーが飛びかい、ほんのひと握りの人が一生かかっても使い切れないお金を得る中で、実体経済が破壊され中間層が没落している。
それと「貢ぐこと」が、どう関係あるのか。「富の分配」がおかしい中、それなりに稼いでいる人が、そうでない人の応援をするのは、なんとなく今の「暴走する資本主義」への抵抗になっているような気がしないでもないのだ。というか、シンプルに「持ってる人が持ってない人の分を払う」とか、当たり前ではないだろうか。
なんとなく、そういうものがもっと大切にされれば、今、進んでいる絶望的なほどの「世界の格差」問題への、解決の糸口が見えてくるような気がするのである。
というような理由もあって、私は年下の彼に貢いでいる彼女を応援しているのだが、そのあたりの話はまったく理解されなかったので、こうして書かせていただいた次第だ。
ただひとつ、気をつけなくてはいけないのは、「お金で人の心を買おうとしないこと」だろう。愛は決して売り買いできないし、交換条件として見返りを求めた瞬間、その関係はひどくつまらないものになる。今のところ「無償の愛」を貫いている彼女の姿は、私には美しく映るし、きっと彼女もそれ以上のものを与えてもらっているのだと思う。
男女の関係は、それ以外の人にはわからない。まぁ、幸せだったらそれでいいのだ。
次回は12月6日(木)、テーマは「嘘つき」の予定です。