卒業とか、入学とか、入社式とか転職とか、いろいろと人生が変わる季節である。そして春は、引っ越しの季節でもある。
物書きとなって14年。職業柄、「季節」を感じるようなイベントなどなかったのだが、今年はちょっと春らしい展開となった。
引っ越しをするのである。
別に部屋の契約更新の時期でもないのだが、仕事の都合や「狭い部屋が資料や本に侵食されて、どうしようもない」という事情から、常々タイミングを見計らっていた。で、このたび、晴れて引っ越しとなったわけである。
新居となる物件は、「猫の居心地」を最優先に考えた。私がたまに散歩にでも連れ出さない限り、一日中部屋で過ごす、完全室内飼いの猫である。
日当たり、窓からの眺め、そして室内の間取り。私よりも、猫目線で物件を選んだ。
ちなみに、わが家の猫は2匹。1匹は元野良猫のぱぴちゃん。メス、10歳。10年前、彼女を近所で拾ったことがきっかけで、私の「猫道」は始まった。
生後2カ月のキジトラ子猫だったぱぴは、殺人的に可愛らしく、甘やかしまくって育てた。そのせいで、現在は非常にワガママで性格の悪いメス猫として、日々ふてぶてしく生きている。
趣味は飼い主(私)の耳たぶを吸うこと。そうすると「お母さん猫のおっぱいを吸っていた頃」にトリップできるらしく、そんな時だけは、いつものふてぶてしさは消えて子猫の顔になる。
もう1匹は、つくし。オス、9歳。ぱぴ降臨の1年後に、ペットショップから迎えた子だ。ひと言で言うと、デブ。そしてバカ。常に食べることばかり考えていて、猫用のフード皿にご飯が入っていないと、不安で不安で仕方ない。
しかし、人見知りのぱぴとは正反対に、とにかく人間が大好き。誰が来てもゴロゴロとのどをならしてすり寄り、1分後にはデカい腹をむき出しにして「無条件降伏」の体勢となる。大抵の人間は、その攻撃にコロッとやられてしまうので、実は「人たらし」でもある。
そんなつくしは、5歳を過ぎた頃から確実にオッサン化。最近はイビキはかくわ寝言は言うわで、小さなオッサンと暮らしているような気分である。
そんな猫2匹と女1人の生活が、まさに今、新しい門出を迎えているわけなのだが、今回の猫最優先の物件選びは、私にとっては「彼らへの罪滅ぼし」の側面もある。なぜなら私には、ぱぴとつくしを「捨てた」経験があるからだ。
捨てたと言っても、路上に放置したとか、そんなことはもちろんしていない。ただ、自分自身の中で、「あ、今、私は2匹を手放してしまった」と強烈に思った瞬間があったのだ。
それは、今から数年前。
当時の私には、一緒に住んでいる人がいた。彼も猫が大好きで、ぱぴとつくしを大切に大切に育て、人間2人と猫2匹で穏やかな日々が続いていた。ずっとこんなふうな生活が続いていくものだと、たぶんお互いに思っていた。
しかし、そんな生活はある日突然、崩れてしまう。今考えても、どうしてあんなことになったのかまったくわからないのだが、私は交通事故に遭ったかのように、別の人を好きになってしまったのだ。
そこから別れるまで、いろいろあった。いろいろといっても、今思えばよくある「別れ際のゴタゴタ」だ。だけど、その渦中にいると、すべてが辛くて仕方ない。いつまで続くのかもわからず、とにかく逃げ出したいという思いしかなかった。
そうして私は、逃げた。
彼が仕事で不在の時を見計らい、トランクに当面の服や仕事道具をつめて家を出た。当時、仕事場として借りていた小さな部屋に、トランク一つで移り住んだのだ。
その直前、何も知らないつくしは、いつものようにお腹を丸出しにして「にゃーん」と甘えた声を出し、ぱぴはすべてをわかっているような顔で、遠くから私を見据えていた。
泣きたかった。だけどもう、どうしていいのか、とにかくわからなかった。
「ごめんね」
振り払うようにそう言ってドアを閉めた瞬間、罪悪感で叫びだしそうになった。今、私はあの子たちを捨ててしまった。
あの時の、ざらついた後味の悪さ。あれほど罪の意識を感じた経験は、他にない。彼がその日のうちにちゃんと帰ってきて、猫の世話をしてくれることはわかっている。だけど私はあの時、2匹よりも「好きになった人」を優先させたのだ。その事実は、どうしたって変えようがない。
結局、いろんな話し合いを経て別れ話は無事成立し、2匹は私が引き取ることとなった。前に暮らしていた部屋に比べると、すいぶん狭くなった場所で、女1人と猫2匹の暮らしが始まった。
最初の頃、ぱぴとつくしは突然いなくなったもう一人の飼い主を呼ぶかのように、長い鳴き声を上げ、返事がないことに不思議そうな顔をした。
例の「好きになった人」とは、しばらく付き合って、別れた。彼には別れる直前まで、私に同居していた人がいたことも、その別れ話でいろいろとゴタゴタがあったことも、何も言わなかった。
というか、今考えると、私を取り囲む境遇に、興味などなかったように思う。最初から最後まで、私のことなど何も知らない人だった。積極的に知ろうともしなかった。
だけど、ぱぴとつくしのことは、よく可愛がってくれた。誰にでも懐くつくしは、彼が部屋に来るとひと時も隣から離れず、人見知りのぱぴまでが、彼のひざの上に座りたがり、座ると控えめにのどを鳴らした。
私の部屋に来る友人たちは、みんな「つくしが可愛い」と言い、つくしばかり可愛がるのに、彼は、来客には心を閉ざし、見た目も地味なぱぴの方が「ずっと可愛い」と言ってくれた。そんな人は、彼しかいなかった。
そんな思い出がある部屋を出て、春からは、女1人と猫2匹の新しい生活が始まる。そろそろ「人生の折り返し地点」にさしかかった1人と2匹だ。
猫の命のスピードは、人間とは比較にならないほど速い。おそらく、ぱぴとつくしと暮らせる時間は、あと10年、あるかないか。
小さな命をいたわりながら、毎日を大切に暮らしていこうと思うのだ。
次回は4月3日(木)、テーマは「なぜか許せないこと」の予定です。