水着の形の日焼けあとが、今も肌に残っている。それが少しずつ薄くなっていくのを見るたびに、「夏の終わり」を感じて切なくなる。
20代の頃は、海水浴など一切しなかった。
もともと北海道生まれ。真夏でも海の水は冷たく、曇り空だったりしたら本気で寒い。そんな北国での海水浴とは、唇を紫色にし、全身に鳥肌を立てながら無理矢理する苦行のようなものだった。
18歳で上京してからも、海に行く機会はなかった。誰も誘ってくれなかったというのがもっとも大きな理由だが(今、書いていて本気で切なくなった)、もともと家で本を読んだりするのが好きな文系引きこもりタイプ。そのうえ20代前半まではバンギャ(ヴィジュアル系バンドの熱心な女性ファン)だったので、「日焼けは大敵」と太陽を避けていた。
今思えば、自分がヴィジュアル系バンドのメンバーとしてステージに立つわけでもないのに、なぜあれほど「美白」に命をかけていたのかさっぱりわからない。だけど、夏だからといって真っ黒に日焼けしてしまうことは、美白を守るヴィジュアル系全般に対する「裏切り」のように勝手に思っていたのだ。
また一方で、自分は海になど行ってはいけないのだと思っていた。
ああいう場所は「リア充」な人たちが、もっともリア充らしく、わがもの顔で肉を焼いたり、スイカを割るなどふてぶてしく振る舞うに決まっているので、自分のような日陰の人間が行くと石でも投げられるのが関の山。そんなふうに思い、20代の私は一着の水着を買うこともなかった。
そんな私がビーチデビューしたのは、30代になってから。仕事などで海外に行くようになり、気がついたら、実に自然に海水浴を楽しんでいた。以来、海外ではかなりの確率で海に入るようになった。が、それからも日本で海水浴をしたことはない。
なぜか。人がたくさんいてちっともリゾート気分を味わえないなど、理由はいろいろあるが、最近「自分が日本で海水浴をしない理由」がはっきりとわかった。ある本に、私が今まで言語化できなかった、モヤモヤした気持ちがはっきりと書かれていたのだ。
その本とは、雨宮まみ著「女の子よ銃を取れ」(2014年 平凡社)。
「かわいくない女の子」と銘打たれた章で、彼女はドバイに旅行に行き、帰国した時のことを書いている。解放感にあふれた旅。しかし、新宿駅に着いてファッションビルのショーウインドーを見た瞬間、「打ちのめされたような気持ち」が彼女を襲う。
ディスプレーされていたのは、ガーリーでかわいいワンピースやブラウス、ショートパンツ。それらを見て、彼女は思う。
「ああ、私はまた、日本の『かわいい』至上主義の中で暮らしていかなきゃいけないんだ」
この気持ち、激しく激しく、よくわかる。かわいい至上主義という圧力。かわいくなきゃ生きる価値がないかのような、もはや暴力的な空気がものすごく自然に蔓延するこの国の、常に少し酸素が足りないみたいな息のしづらさ。
まみさん(苗字が私と同じ雨宮なので、名前で)は、海外と日本のビーチの違いについても書いている。
「よく言われることですが、海外のビーチでは老若男女、さまざまな体型の人が平気で水着になり、日光浴を楽しんでいます。その光景を見ていると、自分がいかに『年を取った女、体型の崩れた女は人前で肌を見せてはいけない』と思い込んでいたかに気づかされます」
その思い込みは確実に私の中にも、ある。そして海外のビーチに行くたびに、そんな思い込みから解放される。
この夏に行った東南アジアのビーチでも、70代くらいの白人夫婦や、びっくりするほど太った女の子が堂々と水着になり、海水浴を楽しんでいる光景を目の当たりにした。それはなんだか、勇気を与えてくれるものだった。
しかし、日本の海はどうか。私と同世代のまみさんは、以下のように書いている。
「私は日本の海岸で、40歳以上と思われる女性が水着姿になっているのを、ほとんど見たことがありません。自分が泳ぎに行くための水着を探したときも、売っている水着はビキニか、ワンピースでも過剰にフリルやリボンのついた20代向けのデザインばかり。水着の売り場に、自分と同じ年代の人の姿すらないのです。(中略)ビーチに行く前に、『そこに行く客層として捉えられていない』ことに、心がぐっと沈みます。そして、実際にビーチに行くと、10代や20代前半の若い人たちがメインです。日本では、そういう遊びの場は、『若い人が主役』になっているように感じます。そういう場に行くとき、私は気後れしてしまいます。なんとなく、思いきり遊んではいけないような気持ちになるのです。若い人たちの邪魔にならないよう、隅っこのほうにいなければいけないような、そんな気持ちになります」
「若者」にくくられなくなったすべての人は、この言葉に共感するのではないだろうか。
そうなのだ。私が日本の海に行かない理由。若い頃は「リア充」が独占している気がしたし、若くなくなってからは「若者以外立ち入り禁止」(エイジングハラストメント=エイハラ)という、暗黙の了解がちらつくからだったのだ。
しかし海外のビーチでは、赤ちゃんから子ども、犬、そして「大丈夫か?」というようなお年寄りまでもが海を楽しんでいる。どこの国かは忘れたけれど、「お爺ちゃんサーファー」だって、何人も見かけたことがある。それは何か、私のちっぽけな日本の常識がガラガラと崩れていく光景で、やっぱ日本って生きづらいな、としみじみ思ったものだ。
海外では全世代に開かれているのに、日本ではなぜか「若者」に占拠されている海。しかし、「ある年齢を超えて海に入っている女は海女さんだけ」という国は、明らかに、おかしい。海外の人に言ったら仰天されるはずだ。
以前、フランスの友人と話していて、「日本人は若さにこだわりすぎ。理解できない」と言われたことがある。なぜ、この国の人々は「年をとる」という誰しもに平等に訪れる現実にこれほど恐怖し、年をとったらとったで勝手に萎縮して「海に行かない」というような自主規制をしてしまうのか。
そこをみんなが突破していけば、この国ももう少し風通しがよくなるのに。そんなことを思う夏の終わりである
次回は10月2日(木)、テーマは「平均値ってなに?」の予定です。