しかし、そんな時流に乗った言葉に、文字通り〝後手を引くように〟嚙みついたのが、エドマンド・バークでした。バークは、プライス博士の演説文に対して、イギリス名誉革命(立憲君主制の確立)における「保存と修正」の規準を示しながら、思弁によってしか確かめられないフランス革命の「理念」に対して、生活のなかに確かめられるイギリスの「経験」を対置し、さらにその「経験」を支えているもの——家庭、祖先、教会、国家——について諄々(じゅんじゅん)と説くことになるのです。ここに、近代保守思想の決定的な一歩が踏みだされました。
Ⅱ バークとカント——二つの崇高論をめぐって
ここから早速、バークによるフランス革命批判の詳細に分け入ってもいいのですが、ここは敢えて回り道をして、まだ若い頃のバークの文学・美学思想について簡単に見ておきたいと思います。というのも、フランス革命に対するバークのリアクションを見るだけでは、その「保守思想」を支えている根っこの方にある感覚を見逃がしてしまう可能性があるからです。言い換えれば、プライス博士とバークとの間にある溝は、単に論理的なものであるより以上に、感性的なものであり、さらに、その感性的なものに対する「態度」の違いが、近代市民社会の「改革」を訴える合理主義者と、有機的に紡がれた「伝統」に従おうとする保守主義者とを分ける境界線を作り出しているのではないかと考えられるのです。
たとえば、『フランス革命についての省察』を書き上げるちょうど33年前、28歳の若きバークは、『崇高と美の観念の起源に関する哲学的考察』(1757年)という、一見、政治とは無関係な美学的著作をものしていましたが、そこに見出せるのも、やはり、合理には収まりきらない「内省を超えるもの」(『フランス革命についての省察』)でした。
『崇高と美の観念の起源に関する哲学的考察』の一節を引いておきましょう。
「自然界の偉大で崇高なものが生み出す情念は、もしもこれらの原因が最も強力に作用する場合には驚愕となる。驚愕とは或る程度の戦慄を混えつつ魂のすべての動きが停止するような状態を言う。〔中略〕それ故に我々の推論作用によって生み出されるどころか、むしろそれを先取りして不可抗的な勢で我々を拉し去って行くあの崇高の偉大な力能が、ここから生ずる。私が述べた如く、驚愕は崇高の最高度の効果でありそれの弱い効果が嘆賞、尊敬、敬意などである。」
「或る意味での無限という感じを我々に呼び起さぬものが偉大さという観念を心に植えつけうるとはほとんど考えられないし、また我々が対象の輪郭を知覚しうる限りはこの対象が無限という感じを惹き起しえないことは明らかであるけれども、実は対象を明確に見るということとその輪郭を知覚するということは同じ一つのことに過ぎない。それ故に明晰な観念とは取りも直さず、小さい観念の別名なのである。ヨブ記には驚くべき崇高な一節があるが、この崇高さも主としてそこに描かれた物事のもつ恐るべき不確定さにもとづいている。」(『崇高と美の観念の起源』中野好之訳、みすず書房)
バークは、「我々の推論作用」を超える自然界の体験として「崇高」を語っていますが、ここで注目すべきは、それが対象性のない、つまり、その輪郭を明瞭に描くことができない一種の宗教体験——「そのもの〔神〕は立ち止まったが、私はその姿を見わけることができなかった」(ヨブ記)と言われるときの驚愕と戦慄の体験としても語られていることです。
バークは、この対象化しえない崇高なもの(表象不可能なもの)を「詩」の作用のなかにも見出すことになりますが、いずれにしろここで決定的に重要なのは、この崇高についての体験が、個人の認識能力の限界ばかりでなく、人間存在の不完全性や、人間存在のもつ避け難い有限性までをも指し示していたということです。つまり、〈私の意識を超えたもの=大いなる他者〉の体験、それがバークの語る崇高論の基盤にある感覚だということです。
しかし、後に、より近代的に整理された、つまり、主観に即して体系化されたカントの崇高論——『美と崇高との感情性に関する観察』(1764年)および『判断力批判』(1790年)——からは、バークの〈私の意識を超えたもの=大いなる他者〉という主題、あるいは、その宗教性(驚愕と戦慄を与える大いなる他者という主題)が消えることになります。
たとえば、その分かりやすい一節をカントの『判断力批判』のなかから引いておきましょう。カント独特の表現が出てきますが、ここは、〈感性的形式=経験できるもの〉と〈理性理念=経験できない概念的なもの〉程度の意味で読んでいただければと思います。
「本来崇高と呼ばれるところのものは、感性的形式に含まれ得るのではなくて理性理念だけに関するものだからである。ところでおよそ理念に完全に適合するような表現は不可能であるにせよ、しかし理念はまさにかかる不適合が感性的に表現せられ得ることによって喚起せられ、我々の心意識に現前するのである。我々は、嵐のなかの怒濤逆巻く大洋そのものを、崇高と呼ぶことはできない。〔中略〕それ自身崇高であるような感情にふさわしい心的状態をもつためには、我々の心意識をすでにさまざまな理念で充たしておかねばならない、即ちその場合に心意識は感性を捨てて、いっそう高い合目的性を含むような理念を事とするように鼓舞されるのである。」
「真の崇高性は、自然的対象において求められるものではなくて、判断者(主観)の心意識においてのみ求められねばならない、またこの場合に自然的対象の判定そのものは、心意識のかかる状態を生ぜしめる機縁を成すにすぎない、ということである。」(『判断力批判 (上)』篠田英雄訳、岩波文庫)
まず、カントとバークが共有している論点から整理しておきましょう。それは、崇高を経験的な「感性形式」(空間と時間による表象)を超え出た体験として捉える視点です。しかし、同じなのはここまでです。その後、カントの議論はバークから大きくそれていきます。