Ⅰ 「資本主義」と「全体主義」に抗して――オルテガとエリオットの抵抗
T・S・エリオット(左)オルテガ・イ・ガゼット(右)
前回は、主に産業革命以降の西洋史において立ち上がってくる人々の「孤立」の問題に焦点を合わせながら、それに対する一つの答えとして、19世紀末~20世紀初頭の保守思想を取り上げておきました。産業革命の波に乗って加速する資本主義、それによって解体されていく地縁・血縁・職能ギルド(ゲマインシャフト)と、それに取って代わって拡大していく近代契約社会(個人—個人の契約によって立ち上がるゲゼルシャフト)、それらの問題にどのように対処するのかという点で、イギリスにおけるG・K・チェスタトンと、T・S・エリオットという二人の文学者の言葉が立ち上がってくる様子を見届けておいたわけです。
しかし、考えてみれば、この「孤立」の問題は、全てを分割可能なモノ=商品として扱い、それを操作しようとする近代=資本主義社会に常に付き纏ってきた問題でした。
資本主義社会が、ありとあらゆるモノを「商品」と「お金」に還元してしまう社会だとすれば、そこではもちろん、人と人との関係は「商品」や「お金」の関係に置き換えられ、長年培われてきた人々の絆(日本的に言えば義理と人情)も、飽くまで分割可能なモノとして扱われてしまうことになります。そのことをマルクスは、社会関係の「物象化」と呼んでいましたが、要するに、人々の直接的で生きた関係性の破壊と、それによる人々の〈孤立=断片化〉の傾き、それが近代資本主義の基本的性格だということです。
そして、前回も述べたように、第一次世界大戦(その後のハイパーインフレーションを含む)と、世界大恐慌によって、その〈孤立=断片化〉が一つの臨界を超えてしまったとき、その断片と化してしまった人々を再び一つの束へと纏め上げることを謳う、「コミュニズム」(ロシア)や「ファシズム(結束主義)」(イタリア)や「ナチズム」(ドイツ)などの「全体主義(totalitarianism)」運動が立ち上がってきたのだとすれば(日本の場合も、2・26事件などの昭和維新運動の拡がりは、昭和恐慌の煽りを受けたものでした)、真に「全体主義」に抗し得るのは、単に個々人の権利を主張するだけの「自由主義」(リベラリズム)でないことは、これまでの議論からすれば明らかでしょう。むしろ、重要になってくるのは、人々の自由を支える「経験」の基盤を自覚し、それを守ろうとする思考ですが、その点、20世紀の「全体主義」に抗したスペインの保守思想家オルテガ・イ・ガゼット(1883~1955年)の言葉は、未だに私たちにとって重要な「考えるヒント」を与えてくれます。
全体主義国家が次々に現れ、今にも第二次世界大戦がはじまろうとしていた1937年、オルテガは、自身の著作である『大衆の反逆』(1930年初版)に、改めて「フランス人のためのプロローグ」を付して、「近代思想」の誤謬をはっきりと指摘していました。
「社会とは、共存という単純な事実によって自動的に生じる。そして共存によって、おのずからそして必然的に習慣、慣習、言語、法律、社会的権力が分泌されていく。いまなお私たちが、そのとばっちりに苦しんでいる『近代思想』の最も重大な誤謬の一つは、社会をそれとほとんど反対なものと言ってもいい結社と混同してしまったことにある。
社会というものは、意志の一致によって成立するものではない。それは逆で、あらゆる意志の一致は、社会の存在、つまり共存する人びとの存在を前提としている。またこの一致は、すでに存在する社会、つまり共存のための形式〔文化の型=礼儀〕をきっちり定めずして成り立つことはできない。社会を契約による法的な集まりとみなす考え方は、本末転倒で無分別な試みである。なぜなら、法は、〔中略〕社会の自然発生的な分泌物以外の何物でもないからである。」(『大衆の反逆』佐々木孝訳、岩波文庫、〔 〕内引用者、以下同)
オルテガが言っていることは簡単なことです。彼は、個々人の「意志の一致」や「契約による法的な集まり」があって社会ができあがっているのではなく、その反対に、自然発生的に現れている「習慣、慣習、言語、法律、社会的権力」があって初めて、「意志の一致」や「契約」や「結社」が可能になっていると言っているのです。要するにオルテガは、個人の意識より先に、社会の無意識が存在しており、その無意識の力(習慣や伝統の流れ)に頼る以外に、私たちは、私たちの意識を方向づけることさえできないのだと言っているのです。
そして、これは、前回紹介した保守思想家T・S・エリオット(20世紀イギリスの詩人・批評家)の言葉とも近いものでした。第二次世界大戦後に出された『文化の定義のための覚書』(1948年)のなかでエリオットは、人格の一部分——職業上の関心や政治的関心(目的)——によってだけ結び付いた「エリート集団」(高級官僚・委員会)ではなく、「階級社会」の方にこそ眼を向け、それを擁護すべきだと言うのです。
ただ「階級」と聞くと、多くの日本人は、それこそ「貴族階級や、エリート集団の擁護ではないのか?」と勘違いしかねません。が、エリオットの「階級社会」論は、特権階級の擁護を意味してはいませんでした。エリオットは、「階級」が有機的に繋がり合った社会のことを、「自然な社会」、あるいは、その国の「文化」と呼ぶのです。
「階級社会」と「文化」について、エリオットは次のように書いていました。
「筆者が提示したのは、『貴族階級の擁護』などではない。——つまり社会の一つの組織の重要性を強調することなどではない。〔中略〕大切なのは、『最上層』から『底辺』に至るまで、幾層もの文化レベルが相接して存在する社会構造である。上層をなすレベルは下層をなすレベルよりも多量に文化を蔵していると見なすべきではなく、上層をなすレベルは意識化の度合いの高い文化、より専門化した文化を表しているに過ぎないということを心に留めておくのは重要である。
筆者は、真の民主主義はこうしたさまざまに異なる文化のレベルを包含していなければ、維持されえないという見方に傾いている。」
「文化がすっかり意識化されるということは決してない。——われわれが意識しているよりもっとずっと多くのものが文化には常に具わっている。文化はわれわれのありとあらゆる計画・立案が拠って立つべき土台、無意識を本質的要素とする土台でもあるがゆえに、決して計画・立案の対象にはなりえないのである。」(『文化の定義のための覚書』照屋佳男・池田雅之訳、中公クラシックス)
ここで重要なのは、「階級社会」を、多様な階級文化(多様な生活と中間共同体)が重なり合ってできた社会として捉えた上で、その文化の重なり合いのなかからこそ「真の民主主義」が生まれてくるという認識でしょう。つまり、バラバラに砂粒化した個人の意志決定の単なる集合によって「民主主義」が成り立っているのではなく——ファシズムやナチズムは、まさにこの種の形式によって成り立った「多数者の専制」(トクヴィル)でした——、様々な〈階級=文化〉に支えられた人々の議論によって「民主主義」は成り立っているのだということです。エリオットが肯定するのは、その文化を背景とした人々の折り合いのかたちでした。
そして、決定的に重要なのは、その「文化」が、私たちの無意識に棹を差しているものであり、そうである以上、それを「計画・立案の対象」にすることはできないのだというエリオットの指摘でしょう。「文化」が、私たちの「出生から墓場までの、朝から晩に至るまでの、いや睡眠中に至るまでの一国民の生き方全体」である以上、その「生き方」に支えられてのみ個人の「意識」は方向づけられるのであって、その逆ではないのです。
であるなら、オルテガが意味するところの「近代思想」、あるいはエリオットが批判する「計画・立案」に対して、自覚的に擁護されなければならないのは、人の意識の手前にある人の「生き方」、こう言ってよければ、私たち自身の持続感、私たち自身を包み込んでいる有機的文化の全体性だということになりはしないでしょうか。「社会の自然発生的な分泌物」が、私たちの社会の基盤を創り出しているのだとすれば、問うべきは、まさしく、それを自然に「発生」させている「生」の力そのものだということになります。
ところで、この「生」の力への眼差しにおいて、常に保守思想の近傍で、それに多大の影響を与えてきたのがアンリ・ベルクソン(1859~1941年)の哲学でした。実際、若きT・S・エリオットに影響を与え(エリオットは、フランス留学中にベルクソンの講義を受けています)、オルテガと同じ「生の哲学」の名で呼ばれるベルクソン哲学は、日本における近代批判の流れ——夏目漱石、西田幾多郎、九鬼周造、小林秀雄など——にも大きな影響を与えていました。そして、それはまさしくベルクソンが、すべてを分割可能なモノに還元しようとする「近代思想」に対して、私たち自身の「経験」の基盤を守り、そこから聞こえてくる声に正確に耳を傾けようとした哲学者だったからにほかなりません。
では、ベルクソン哲学とは何だったのか? 保守思想は、そこから何を汲み取ってきたのか? 本章では、改めて保守思想の観点から、ベルクソン哲学の「可能性の中心」をスケッチしてみたいと思います。
(註1)
ベルクソン自身、自身の著作の各所で、ゼノンのパラドクスについては繰り返し触れていますが、正確に言えば、ベルクソンに、この空間に還元できない時間の存在論について最初に考えるきっかけを与えたのは、ハーバート・スペンサーの社会哲学だったようです。スペンサーの「進化論哲学で主役をつとめる真の時間を、数学が見落としていることに驚いた」(『思考と動き』、原章二訳、平凡社ライブラリー)ことから自分の思索は始まっていると、その「思想的自伝」である『思考と動き』の「序論(第一部)」でベルクソンは回想しています。
