これは近代的個人に特徴的な心理現象となりますが、その「理性」によって「神」から解き放たれた人間は、それゆえに自由の高揚感に満たされることになります(喜びの初期ロマン主義)。が、その一方で、「神」の支えを失くしてしまった人間は、その不安感に苛まされることにもなります(絶望の後期ロマン主義)。そして、この不安感を乗り越えるために呼び出されるもの、それが、「理性」によって編み出されたユートピアの観念でした(啓蒙合理主義)。要するに、「理性」によって自由になった人間は、その自由によって不安になり、さらにはその不安から逃れるために、ここではないどこかの「理念」にすがり付き、ついには、その「理念」による現実世界の変革を、つまりは〈不安なきユートピア〉の設計を夢見はじめることになる……、これが、国王の首を斬ったロベスピエールと、神の首を斬ったカントを貫く近代的な「自己」の運命であり、さらには、そこから現れるロマン主義(自由と不安の二重性)と、啓蒙合理主義(不安の社会的克服)とを繋ぐ必然の糸でした。
たとえば、30歳の若さで、全国三部会への第三身分代表の議員に選ばれたマキシミリアン・ロベスピエールは、そんな「自己」を語って、次のように書いていました。
神のような人よ、あなたは私に、自己を知ることを教えてくれた。あなたは、まだ若かった私に、自己の本性の尊厳を尊重し、社会秩序に関する偉大なる原理について熟考することを教えてくれた。……
私は晩年のあなたに会った。〔中略〕そのとき以来、私は、真理の崇拝に捧げられた高貴な生の苦悩をすべて理解した。私はその苦悩の前にたじろぐことはなかった。同胞たちの幸福を求めたのだという自らの意識が、有徳の士にあたえられる報酬なのである。〔中略〕私は、自分自身に対して自分の責任を取らねばならないし、自分の思想と行動に関する弁明をまもなく同胞市民たちにしなければならなくなるだろう。(「ルソーの霊への献辞」松浦義弘『ロベスピエール―世論を支配した革命家』山川出版社)
ここで「同胞たちの幸福を求めた」とあるからといって、読み間違えてはなりません。あくまでロベスピエールが目を向けているのは、「同胞たちの幸福を求めたのだという自らの意識」であり、その「意識」だけが「有徳の士にあたえられる報酬」だと言っているのです。そして、だからこそ彼は、「自己の本性の尊厳を尊重し、社会秩序に関する偉大なる原理について熟考することを教えてくれた」人物に対して、心からの感謝を綴っているのです。
では、ここで、ロベスピエールが感謝を捧げている人物とは一体誰なのか?
それこそは、ロマン主義の導き手でありながら、また啓蒙合理主義の作り手でもあった、ジャン・ジャック・ルソーその人にほかなりません。そして、このルソーはまた、あの「純粋理性」を語ったカントにインスピレーションを与えた思想家であり、さらには、フランス革命の末期、革命の功労者としてパリのパンテオンに合祀された人物でもあったのです。
カントとロベスピエール、そして、その二人を媒介として浮かび上がるルソー、この三者の関係のうちに、近代的自己(理性)と革命(左翼)、そして社会契約論(社会理論)との関係が浮かび上がってきます……。が、さすがに紙幅が足りません。詳細は、次回に回すことにしますが、それを確認した上で、フランス革命の内実を検討したとき、ようやく、バークが抵抗していたものの本質が、そして、「保守思想」が守ろうとしているものの価値が見えてくるのではないかと思われます。引き続き、お付き合いいただければと思います。