Ⅲ 「孤立(loneliness)」と「全体主義(totalitarianism)」~「経験の貧困」について
しかし、世界に激しい動揺を強いた二十世紀という時代は、人々が静かに「保守の道」へと着地することを許しませんでした。なるほど、第一次世界大戦の破壊によって引き籠る個室(アクセルの道)を奪われてしまった人々は、次第に脱西欧の夢(ランボーの道)を唱えはじめていました。が、それも結局、西欧の「外」を夢見ることのできるエリートに限られた話でしかありません。むしろ、「伝統」の保護膜を失ってバラバラに砕け散って、剝き出しとなった多くの大衆(剝き出しになった悲しみの感情)は――まさにその「悲しみ」を凝縮して表現していたのがアドルフ・ヒトラーでした――、その「個性」と「情緒」を、欲望渦巻く資本主義社会に、あるいは、破壊されたヨーロッパの街々に晒していたのです。
たとえば、政治哲学者のハナ・アーレントは、第一次世界大戦後の廃墟に見捨てられた人々の悲惨さを、自己対話の空間と時間を許された「孤独(solitude)」ではなく、他人に晒されながらも、なお彼らを信頼することのできない「孤立(loneliness)」の相に看取しながら、そこに胚胎するルサンチマンに、その後の全体主義社会の到来を予感していました。
「テロルを生む一般的な地盤であり、全体主義的統治の本質であり、そしてイデオロギーもしくは論理性にとっては、その執行者および犠牲者を作り上げるものであるlonelinessは、産業革命以来現代の大衆の宿業となっていた、そして前世紀末の帝国主義の興隆および現代における政治制度および社会的伝統の崩壊とともに鮮明になった、根を絶たれた余計者的な人間の境遇と密接に関係している。根を絶たれたというのは、他の人々によって認められ保障された席をこの世界に持っていないという意味である。」
「Lonelinessをこれほど堪えがたいものにするのは自己喪失ということである。自己は孤独のなかで現実化され得るが、そのアイデンティティを確認してくれるのは、われわれを信頼してくれ、そしてこちらからも信頼することができる同輩たちの存在だけなのだ。Lonelyな状況においては、人間は自分の思考の相手である自分自身への信頼と、世界へのあの根本的な信頼というものを失う。人間が経験をするために必要なのはこの信頼なのだ。自己と世界が、思考と経験をおこなう能力が、ここでは一挙に失われてしまうのである。」『全体主義の起原3―全体主義』大久保和郎・大島かおり訳、みすず書房
そして、この「孤立(loneliness)」が、さらに世界大恐慌(1929年)の混乱に晒されたとき、「根を絶たれた余計者」たちが向かったのが、語の正しい意味での「ファシズム(fascism)」、つまり「結束主義」だったのです。人々を「結束」させることができるのなら、その理念は、左のコミュニズムでも、右のナチズムでも、どちらでも構いはしません。アーレントの言葉を借りるなら、そもそも「共通感覚(common sense)」を失っている彼らにおいて、全体主義のプロパガンダは、それが理念的であればあるほど――つまり、それが虚構的であればあるほど――その威力を発揮するのであって、そこにおいて経験的な「常識」は無用の長物なのです。つまり、「ファシズム」とは、人々の自由と対立した独裁権力などではなく、むしろ、近代的自由を加速した果ての「自己喪失」に堪えられなくなった「大衆」によって求められた「自由からの逃走」(エーリッヒ・フロム)の欲望だったのです。
たとえば、先にも引いたドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンは、この「孤立(loneliness)」と、そこに発生する「一種の新たな未開の状態(Barbarentum)」について、それを「指輪のように世代から世代へと受け継がれてゆくほど確かな言葉〔伝統〕」が消滅し、個人の「教養」(図=部分)が、人々の「経験」(地=全体)から浮き上がってしまったことの結果として、つまり、二十世紀西欧における「経験の貧困」の問題として捉えていました。
「経験の相場はすっかり下落してしまった。しかもそれは、一九一四年から一八年にかけて(第一次世界大戦)、世界史のなかでも最も恐ろしい出来事のひとつを経験することになった世代において起こっている。」
「教養によって得られる精神的な富といったところで、経験によってこそ私たちがそれに結びつくのでないなら、そんなものになんの価値があるだろうか? その経験が見せかけのものだったり、どこかからくすねてきたものだったりしたときに、そうした精神的な富がどのような事態に行き着くかということは、前世紀〔十九世紀〕におけるさまざまな様式やさまざまの世界観のおぞましいごたまぜが、あまりにもはっきりと示している。そのため私たちは、私たちのこの貧困を告白して認めることこそ、正直な振舞いであると見なすほかないだろう。それどころか、私たちは白状しよう。すなわち、この経験の貧困はたんに私的な経験の貧困であるばかりでなく、人類の経験そのものの貧困にほかならないのだ、と。」「経験と貧困」1933年、『ベンヤミン・コレクション2』浅井健二郎訳、ちくま学芸文庫
ここで指摘されているのは、世代から世代に語り継がれてきた「経験」(地=全体)によって上手く文脈づけることのできなくなってしまった個人的「教養」(図=部分)の無意味さであり、そのニヒリズムだと言っていいでしょう。ここからベンヤミンは、この断片と化してしまった「教養」を、再び適切に位置づけ直すための新たな「歴史」(ベンヤミン流の弁証法的イメージ)を求めることになりますが、いずれにしろここで重要なのは、このベンヤミンの指摘が、チェスタトンの「狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である。」(『正統とは何か』)といった言葉、あるいは、T・S・エリオットの「ある作家の作品が健全であるかどうかを試す外部的な基準〔正統主義・伝統〕がないと、われわれは作家の人生観の真実さとそれを真実らしく見せかけているにすぎぬ個性との区別をすることができない。」(「異神を追いて――近代異端入門の書」)といった言葉と響き合っていることです。つまり、二十世紀の問題とは、私たちが、私たちの「知識」と「教養」とを包摂する「経験」の基盤を失ってしまったこと、またそれによって、目の前の事態が「健全であるかどうか」が分からなくなってしまったこと、そのことなのです。
しかし、だとすれば、現代の「全体主義」に対して、私たちが適切に抵抗するためには、単に自由主義を唱えておけばいいということにはならないでしょう。むしろ、十九世紀を席巻した自由主義を越えて、その「自由」を包摂している「経験」の基盤をこそ問い直すこと、そして、その孤立しがちな個人的「教養」を、改めて生活世界の「経験」に着地させること。そのことは、まさにバークが語っていた「裸の理性」を「先入観(prejudice/pre=前もってのjudge=判断)」の衣で包み込むという主題とも響き合いながら、己の可能性の限界で、与えられた大地への帰還を語る「保守思想」に改めて私たちを直面させることになるでしょう。
では、この課題――近代の自由主義イデオロギーを越えて、私たちの「教養」を基礎づける「経験」の基盤を問うという課題を引き受けてきた思想家は存在するのでしょうか?
結論から先に言えば、それを担っていた思想家こそは、現代思想の基礎をかたちづくることになった、ベルクソン、ハイデガー、ウィトゲンシュタインではなかったかと私は考えています。もちろん、彼らが自覚的な「保守思想家」だったとは言いません。が、少なくとも、西洋近代における個人主義的な「教養」を批判して、その基盤に、生活世界の「経験」を見出そうとする彼らの思考が、バークをはじめ、チェスタトンやエリオットの「保守思想」を支える、密度の高い議論を用意していることだけは間違いありません。私という〈部分=知性〉を越えて、私を包摂している〈全体=伝統〉(wholeness)を、しかし、「全体主義」(totalitarianism)に抗して守ること、その試みにおいて、ベルクソン、ハイデガー、ウィトゲンシュタインの思考は、現代保守思想における貴重な手掛かりとなり得るのです。(註1)
次回以降、この三人の思想家を紹介しつつ、その「保守思想」における可能性を探っていくことができればと考えています。引き続き、お付き合いいただければ幸いです。
(註1)
これは決して私の思い付きではなく、たとえばベルクソンに関して言えば、それは実際に、T・S・エリオットや、日本の「伝統」を語った小林秀雄に圧倒的な影響を与えていますし、また、現代の代表的保守思想家である西部邁は、ハイデガーの「解釈学的循環」の議論や、ウィトゲンシュタインの「生活形式」の議論を引き合いに出しながら、それを保守思想の「源流」として論じていました(西部邁『思想の英雄たち――保守の源流をたずねて』参照)。その内実については、次回以降に見ていきたいと考えています。