Ⅲ 対象として語ることのできない「共同体」――ナチス問題を媒介として
1933年にライプツィヒで行われた集会に参加するハイデガー(左から7人目)
ここまで、『存在と時間』の概要を大きくスケッチしてきましたが、おそらく、ハイデガーの議論で最も重要かつ見落とすべきでないのは、単独性と共同性が矛盾しないという論点でしょう。いや、むしろ、道具連関や世間的意味(世人=ダス・マン)から脱却し、自らの単独性を自覚した人間だけが見出せるもの、それが、自分固有の可能性(不可分な時間性)を与え、限定しているところの「歴史」であり「共同体」なのです。その意味で言えば、ハイデガーの語る本来的実存とは、「歴史」や「共同体」から抜け出た負荷なき個人ではなく、逆に、その負荷を引き受けた実存だったと言っていいでしょう。
しかし、だとすれば、この「歴史」と「共同体」とは、まさしく「世間」に埋もれた「みんな」(大衆、メディア)が語る意味やイデオロギーではないということはもちろん、対象として語ることのできるモノでさえないと言うべきです。それは、世界を対象化している自己そのものの基盤、自己の可能性を、それに沿って造形していく生のリズム、あるいは、後にハイデガーが語ったところで言えば、「人間の本質の住まい」(『「ヒューマニズム」について』渡邊二郎訳、ちくま学芸文庫)とでも呼べるような場所でした。
そして、だからこそ、後に展開されたハイデガーの思考においては、それを意味やイデオロギーとして語るのか、それとも、人間の事実として示すのかという、その「語り口」が決定的に重要な問題となっていったのです。
実際、対象論理を使うしかない哲学的思考に限界を感じはじめたハイデガーは、『存在と時間』を未完に残したまま、その存在の事実から発される「呼び声」――その歴史性と共同性を孕んだ言葉のリアリティー――をよりよく示し、造形しようとするかのように、学問の根底的な刷新運動へと向かい、さらには、後期の芸術論や文学論(ほとんど「文芸批評」の営みだと言ってもいいような詩論)へと接近していくことになるのでした。
もちろん、その実践の過程で、ハイデガー自身が、当時台頭してきたナチスに加担し、また、それに失敗していること――1933年、ヒトラー政権下でフライブルク大学総長に選任(4月21日)されたハイデガーは、その年の内にナチスに入党し(5月1日)、「ドイツ大学の自己主張」(5月27日)という講演をするものの、その後、自らの大学改革に行き詰まり、就任わずか一年足らずで総長職を辞任していること――はご承知の通りです。
が、そのナチス加担という一点によって、ハイデガーの思想の全てをゴミ箱に投げ入れ蓋をしてしまう行為は、それこそ、ハイデガーがナチスに期待をしてしまったのと同じくらいに浅薄であり、また安易でしょう。その点、ハイデガーとナチスとの関係を研究する轟孝夫氏の次のような指摘は、やはり記憶しておくべきものかと思います。
「ここで注意しなければならないのは、ハイデガーは自身のナチス加担の「誤り」〔ナチスの政権奪取という歴史を、あまりに拙速に西洋の精神的覚醒のチャンスと捉えてしまった性急さ〕は認めるが、それはあくまでも自身の「性急さ」によるものであり、自身の思索そのものに問題があったとは考えていない点である。実際、彼は学長辞任後、それまでの立場を変えるどころか、むしろ同じ立場に基づいて、ナチズムの貧弱な哲学的基礎を批判するようになってゆく。こうしたナチズムとの思想的対決の根拠となったのが、まさしく彼の『存在の思索』に基づく『フォルク』概念なのである。ハイデガーは自身の『フォルク』概念に依拠して、ナチズムの人種主義イデオロギーを徹底的に解体しようとしたのである。
それゆえ、もしわれわれがハイデガーのナチス加担を理由として、彼の思想的業績をすべて否定してしまうと、皮肉なことだが、そのことによってナチズムの弱点を根本から剔抉(てっけつ)する思想的立場もまた手放すことになるのである。しかもハイデガーによると、ナチズムはドイツにおけるある一時期の特異な事象などではなく、むしろ近代的主体性、西洋の合理主義の究極的な帰結と見なされるべきものなのである。」轟孝夫『ハイデガーの哲学――「存在と時間」から後期の思索まで』講談社現代新書
詳しくは、「黒ノート」と呼ばれるハイデガーの覚書(最新資料)を丹念に読み解いた轟孝夫氏の研究(前掲書の外に、『ハイデガーの超政治―ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い』明石書店など)を参照してもらえばと思いますが、いずれにしろ、ここで重要なのは、第一次世界大戦後のドイツの荒廃――故郷喪失、莫大な賠償金とハイパーインフレーション、社会的格差と砂粒化する個人――を前に、ハイデガーが「フォルク〔民族共同体〕」の再生と基礎づけを考えていたという点でしょう。実際、ナチスが権力を掌握した当初、「自身が積極的に働きかけることによってナチズムの『フォルク』観を『是正』することはなお可能と考えて」いたというハイデガーにおいて、その大学改革論は「現実のナチズムとハイデガーの思想的立場の共通性ではなく、むしろ違い」をこそ示していたのです。
しかし、考えてみれば、両者の「違い」は、それこそ『存在と時間』における本来性と非本来性の違いのなかに示されていたものではなかったでしょうか。いや、さらに補足しておけば、フライブルク大学総長を辞任した翌年の1935年、ナチスが嫌っていた「頽廃芸術家」のゴッホ(後期印象派)を、しかし『芸術作品の根源』のなかでハイデガーが積極的に評価していたこと、また、1930年代から1940年代になされた一連の〝ニーチェ講義〟において、ナチスが自己正当化のために用いたニーチェを、ハイデガーが徹底的に批判していたことなどを確認すれば、両者の「違い」は誰の眼にも明らかでしょう。
では、私たちの「意識(イデオロギー)」を超えた「共同体」とは一体何なのか?
次回、ハイデガーの言語論を媒介としつつも、それをハイデガーと同じ1889年に生まれたもう一人の哲学者、ウィトゲンシュタインの言語論によって確かめておきたいと思います。そこにおいて私たちは再び、〈近代的自己=意識〉を超えるものの存在論、言い換えれば、自己意識を支え、方向づける「力」の思想に出会い直すことになるでしょう。