でも人目をさえぎる茂みさえないので、彼女たちは日中は飲む水の量を減らしてしのぎ、夜になってから排泄するようにコントロールしていました。徐々にジェンダー問題に取り組むワーキンググループが入って整備されて、ようやく女性用のトイレができました。ただし、いまだに障害のある方や高齢者など1人でトイレに行けない人は、やはり屋内の台所に穴を掘って排泄したりしています。キャンプには汚水や排泄物のにおいが充満していました。
コロナの前に、コレラや麻疹が流行した
――ミャンマー国軍や警察に撃たれて外傷を負った難民も多かったと思いますが、それ以外の疾病に関しては、新型コロナウイルスが感染する前はどのような患者さんが多かったのでしょうか。
木田 季節性の病気です。もともと悪い衛生状態が、雨季になるとさらに悪化するのです。急性水様性の下痢(AWD、Acute Water Diarrhea)が増える。あとは蚊が発生してくることで、デング熱が増えてきました。マラリアはあまり聞きませんでしたが。去年(19年)は首都のダッカでデング熱がすごく流行って、キャンプ内でも懸念されていました。そして乾季になると、今度は空気が乾燥してウイルスも活性化するので、急性呼吸器感染症(ARI、Acute Respiratory Infections)が流行ります。
去年は二種類、大規模な予防接種が行われました。一つはコレラ。テクナフという地域で、9月に大発生したのです。原因究明のためにあとで調査に入ったら、川の水を飲料水として使っていたんです。この地域はいくら井戸を掘っても水が出てこないので川の水を飲むしかない。ところが、その川の上流にはトイレがあったんです。汚水が川に流れ、それを生活用水として使った下流の人々がコレラになってしまいました。もうひとつは麻疹です。これも子どもを中心に感染例が増えて、予防接種をしました。
患者は1日400人! 忙しすぎる医療現場
――当時、ひとつのヘルスポストには1日どのくらいの数の外来患者が来ていたのでしょう。
木田 私が入った直後の2017年12月は1日約400人の外来がありました。スペースは10畳くらい。一応、妊婦の方とかが来られたときに横になる診療用のベッドが1台だけありました。そういう場所に400人ですから、診察に時間をかけられず、薬を渡すのが精いっぱいでした。例えば、日本だったらまず問診。「いつからどういう痛みですか」そのあと触診に入って、聴診器で胸の音を聞いて必要なら検査を追加して、最終的にドクターが診断して処方するという一連の流れがあるんですが、キャンプ内では、一応血圧は測るんですが、あとは患者さんが下痢をしていると言ったら、「では、この薬を」というような状態でした。ただそこから外来数が徐々に減り、2年が経過したころは70~80人ぐらいで推移していたと思います。
――今、木田さんが、一番心配していらっしゃることはどういうことでしょうか?
木田 コロナの感染拡大が心配です。キャンプ内では感染症などへの対処のフェーズ(段階)があるんですが、5月に10例以上の感染例が出たことで、フェーズがそれまでの『エッセンシャル』から『クリティカル』へと変わり、より緊急性が増しました。
それまでは13歳から18歳くらいの若者をボランティアとして、出身コミュニティの人たちに啓発メッセージを伝えてもらっていたのですが、やはり人を集めたり移動させたりすると感染のリスクも高まってしまうので、やめたんです。あのキャンプでは3密を避けることは無理です。
最近共有された資料を読んでいてもう一つ心配になったのは、コロナの影響で、患者さんの受診が逆に遠のいていることです。5月3日の時点で50%くらいに減っています。高齢者は、1回受診するとヘルスセンターのスタッフによって、隔離施設に連れて行かれると思っているんですね。
受診率が下がり、慢性疾患が進行する可能性
――なるほど。迫害されたロヒンギャ難民は隔離に対して深いトラウマがありますからね。
木田 そうです。高齢者も、自分たちはぜい弱で感染リスクが高いという認識があるんですよ。だからこそ1回受診してコロナだと判断されようものなら、隔離されると思ってしまうんですね。今、私たちは60歳以上の高齢者を対象に保健啓発を行っているんですが、皆さん、慢性疾患として高血圧、糖尿病、ぜん息などを患っているんです。そういう方たちがクリニックにアクセスするのをやめてしまう。つまり薬がもらえていない状態で、じわじわ慢性疾患が進行し、悪化していく。もしそういう方がコロナになったら、本当に致死率が上がってしまいます。
――危険ですね。現在はどのような啓発活動を行っていますか。
木田 直接的な接触を減らすようにしていこうとしています。例えばモスクでのお祈りに併せて啓発メッセージを伝えています。予防法は何なのか、ソーシャルディスタンスとは何なのか、など、どういうことについて住民が知りたがっているのかを、現地のボランティアにリストアップして送ってもらって、それに従って、啓発メッセージを発信しています。
ネットの使用制限が難民の命を脅かす
現在、ミャンマーとバングラデシュの両政府は、抗議行動やデモなどを起こされないよう、治安維持を名目に通信業者に指示を出し、ロヒンギャが居住する地域のインターネット使用に制限をかけている。きっかけとなったのは19年8月25日、難民によって行われた大きな政治集会であった。それは「ミャンマー政府が剥奪したロヒンギャの市民権を再び認めない限り、帰還はしない(できない)」ということを声明として出したものである。外国籍であることにされてしまえば、帰国できたとしても、いつまた国外に排除されてしまうか分からないのだから、極めて真っ当な主張であった。しかし、集会を問題視した両政府により、通信制限はその後1年近く続けられている。
危機的な状況にある難民も国内避難民も、携帯やスマートフォンだけを命綱として逃げてきているというのに、SIMカードの使用が規制されているために、ネットを通じてコロナに関する有益な情報に触れることができない。