その地を知るものであれば、誰もが恐れていた事態が起こった。祖国ミャンマーから、バングラデシュに逃れていたロヒンギャ難民たちのキャンプに、新型コロナウイルスが入り込んだ。WHO(国際保健機関)が5月14日に最初の感染者が出たことを発表したのである。そこから2週間でさらに26人が感染していることが判明した。
約85万人が暮らすコックスバザール(バングラデシュ南部の都市)郊外のメガキャンプは、「3密」どころではない。山地を切り開いて急遽作り上げられたシェルターの群れの中では、ソーシャルディスタンスなどキープしようがなく、家の外も内も人が折り重なって生活している状態である。あの地域にウイルスが入ればどうなるのか想像を絶するが、感染爆発を抑えるために、一時、外部からの救助アプローチは遠ざかった。難民支援を続けていた国連やNGOも現在活動が制限されており、キャンプに入れないという状況に陥った。(現在はさらに深刻な”critical phase”として、難民支援を続けていた国連やNGOも現在活動が制限されている。ただ、医療保健支援は必須のものとして継続強化されている)。
今後の感染拡大の見通しについて、米国のジョンズ・ホプキンス大学が、メガキャンプにおける様々な蓄積データからロヒンギャの感染のシミュレーションを公表している。それによれば、このまま何もしなければ最悪の場合、12カ月で約60万人が感染するという。実に85万人のうちの7割近くが罹患することになる。
父祖の土地に暮らしながら、市民権をミャンマー政府によって強奪され、国外へと追い出された民族のメガキャンプは、そのまま巨大な隔離施設とされてしまうのか。ここではコロナ以前から現在に至るまでの、彼の地の医療体制を見つめ直す必要があるだろう。
人道的な医師であり、米国のイラク統治を批判する政治家としても知られたベルナール・クシュネルが設立した国際NGO「世界の医療団」(MDM、Medecins du Monde)は早い段階から、バングラデシュのロヒンギャ難民支援に乗り出していた。京都出身の看護師である木田晶子は、このMDMのメディカルコーディネーターとして支援プロジェクトに参加し、2017年の12月からキャンプに入っていた。感染が起きる直前まで、2年以上に渡って現地の医療支援に従事していた木田に話を聞いた。
――木田さんがキャンプに入ったのは、2017年の12月ですね。ロヒンギャの人々に対するミャンマー政府による「民族浄化」、が始まり、難民の大規模な流入が始まったのが、同年8月25日からですから、何万人という単位でキャンプの人口が増えていた頃ですね。
木田 私たちはクトゥパロンキャンプ(コックスバザール郊外のロヒンギャ難民キャンプの一つ)の入り口のところ、「キャンプ1E」というエリアを拠点にしていました。だから、難民の人たちが入って来るのを目の当たりにしていました。そのときは毎日100人以上の流入が続いていたので、見る見るうちに狭いスペースに人が溢れて行くという印象でした。
キャンプの衛生状態は?
――当時のクトゥパロンにおける医療施設はどのようなものだったのでしょうか?
木田 急造でしたので、すべての施設が竹材とビニールシートで作られていました。素材は国連の機関から配られていたもので、難民はそういう簡易のシェルターに身を寄せていました。医療施設も同様の作りです。しかし、さすがにサイクロンの季節になると、そのようなぜい弱な作りでは崩壊しやすいので、同じ竹材でも幅の広いものに変えたり、建物の周りに砂のうや土のうを敷いて強化しました。
難民の方々が利用できる医療施設には何種類かあって、まず体調を壊したときに、一番に最初にアクセスするのが「ヘルスポスト」というところです。基本的には1つのヘルスポストに、医者とアシスタントと助産師と薬剤師の4人がいることになっています。
ヘルスポストで対応できない重症な疾患は、次のレベル、「プライマリーヘルスセンター」に送られます。さらにそこでも対応が難しい場合は、キャンプを出て、ウパジラ(郡にあたる行政単位)の「ヘルスコンプレックス」、さらにそこで難しい場合は最終的にコックスバザールの市内の病院に運ばれるという流れになっていました。
――医療施設の一番小さな単位がヘルスポストですね。公衆衛生的にはどうだったのでしょう。
木田 その観点で言うと、2017年12月は、まだトイレの数が人口に対して全く足りていませんでした。ロヒンギャの場合、ジェンダーギャップの問題もあります。トイレが完成するとまず男性が使うんです。男性が使うと女性は入れないので、結局、屋外で排泄せざるを得ない。