「アウンティンさんはミャンマーを出てから、もう何十年もお母さんと会っていないと言っていて、それがすごく心配になりました。難民キャンプにアウンティンさんが建てた学校の話を聞いて、日本に来ても仲間のことを考えているのだと思いました」(大喜君)
「アウンティンさんと最初に会ったとき、僕はまったくの無知識でした。ロヒンギャに関して、次に会うときまでにちょっと調べ直したら質問がどんどん増えて、予定していた時間より長くなっちゃったんですが、全部答えてくれました。館林に住んでいる人たちのことも思い当たりました。僕が参加しているサッカーチームは中学校のグラウンドを借りているんですけど、その学校にお祈りの部屋があると聞いたことがありました」(聡真君)
近年、館林市は行政として外国人の包摂を進めている。例えば市立第十小学校は外国にルーツを持つ子どもたちを積極的に受け入れており、日本語教育をはじめとしてそれに対応したカリキュラムも組んでいる。市はロヒンギャの受け入れにも熱心に取り組んで来た。小中学校では、イスラム教徒であるロヒンギャの子どもたちのために祈りの部屋を常設したり、ラマダン(断食月)のときには無理をさせずに早めの帰宅をうながすような指導も行っている。ロヒンギャのみならず、イスラム教徒の子どもたちが一定数に達すれば、給食にハラルフード(イスラム教の戒律に照らして、摂取を許されている食品)のメニューを加えることも検討している。
同じ町に暮らしているアウンティンは、難民申請が認められない中、想像を絶する努力をして、今では豪奢ともいえるマイホームを館林に建てている。難民というイメージからは大きく遊離したその家の中で聞く話は、しかし、経済の成功者としての自分語りではなく、常に苦境にある同胞に対する憐憫と雅量に満ちたものであった。アウンティンはかたときも難民のことを忘れずに支援を続けている。このことは子どもたちの想像力を大きく刺激した。
4人はこんな気持ちになっていたという。
「ロヒンギャの子どもたち、僕たちと同じ年ごろの子どもたちは、お母さんが目の前で殺されちゃったり、お父さんが連れていかれたり、そんな酷い目に遭っている。僕たちもそれを知ったからには黙っていていいわけじゃない」
記者会見に参加
支援をしよう、何か物資などを送ろうと動き出した。サッカーをしている聡真君は難民キャンプの子どもたちがボロボロのボールを蹴っている写真が気になっていた。彼らに新品のボールを送りたい。4人は真弓さんからクラウドファンディングの手法を聞くと、これを目標に定め寄付金を募ることにした。
夏休み中にクラウドファンディングを始めようと動き出した。はじめての準備に手間取り、ようやく8月25日にスタートすることになった。その報告に在日ビルマロヒンギャ協会の事務所に向かうと、そこでは記者会見が行われていた。8月25日は奇しくも3年前にラカイン州でミャンマー軍によるロヒンギャへの大規模な「民族浄化」が始まった日である。在日ビルマロヒンギャ協会は今も続くこの未曽有の悲劇に対する声明を日本のメディアに向けて出す必要があったのだ。
「記者の人たちがいて、アウンティンさんからそこで『自分たちの活動のことを言って』と告げられてびっくりしました」(聡真君)
何かのめぐり合わせのように記者たちに活動のことを発表することができた。まさにその場からクラウドファンディングのスタートボタンを押したのである。
寄付のリターンは、500円の人には「お礼のメール」、2000円の人には「メール、活動報告、缶バッジ」3000円の人には「手書きの手紙、活動報告、缶バッジ」と定めた。2年生の悠喜君はバッジに「やさしさいっぱい、ありがとう」と書いた。
「協力してくれる人を優しく感じたから」(悠喜君)
思いもよらない大金が集まって…
当初の目標は10万円だった。それは遠いゴールのようにも思えた。ところが、誰もが想像しなかった展開になっていく。記事を見た人たちの反応は鋭く、目標設定した10万円は24時間で達成されてしまった。それどころか、クリアしてからも賛同の輪は加速度がついたように広がり続けた。ネット上だけではなく、4人の通う学校に直接やって来て「新聞を読みました」と告げて支援品を渡してくれる人まで現れた。
ほんの1週間で目標の20倍の200万円に到達し、最終的に期日までの2カ月間で300万円を突破したのである。
丁寧にリターンを返しながら、あまりの反響に今度はこの高額な寄付をどのように有効に活用するかが議論の中心になった。