それでは、と腰を上げた。あの国はどうだろうか。かつてはボスニアと同じ旧ユーゴスラビアに属し、やはり独立紛争で戦禍に見舞われた国、コソボのことだ。彼の地の人口の9割を占めるアルバニア人もまたムスリムであり、親パレスチナの姿勢は堅固であるように思われた。
コソボの首都プリシュティナに向かった。ボスニアはまだコソボを国家として承認していないため、直行便が飛んでいない。調べた結果、ロンドンを経由するという大回りの旅程になった。東京から大阪に向かうのに札幌を経由するようなものであるが、それでもこれが最も安価で時間も早かった。
行って分かった。コソボはまったく位相が異なっていた。
コソボのナショナリスト
サッカーのコソボ代表チームのサポーターグループは「ダルダネット」という。この名前は紀元前にバルカン半島に先住していたダルダニア人に由来する。日本で言えば「万世一系の純粋なヤマト民族の末裔のネットワーク」というような意味である。コソボは、6つの星があしらわれたその国旗に象徴されるように、建前上は6つの民族(アルバニア人、セルビア人、トルコ人、ボシュニャク人、ゴラン人、ロマ)が共存する多民族国家となっている。
しかし、ダルダネットはこの名前からも分かるようにアルバニア民族主義が強く、コソボ国旗ではなく、アルバニア「本国」の国旗を試合場で掲げることから、過去に何度もFIFA(国際サッカー連盟)により警告を受けている。
極右的な思想から、ときにフーリガン化する彼らの“アジト”は「FKプリシュティナ」のホーム、「ファデル・ヴォークリスタジアム」のカフェである(ヴォークリは元ユーゴスラビア代表のサッカー選手の名前。現役時代、イビツァ・オシム率いるユーゴ代表チームの一員として活躍し、コソボ独立後には同国の初代サッカー協会会長としてFIFAの加盟に奔走した人物である)。
11月18日、そのアジトでダルダネットのメンバーたちと向かい合った。皆、不満を溜め込んだ表情をしている。苦い顔は濃すぎたエスプレッソのせいではなかった。
「あの試合は散々だったな」
リーダーのガシはそう言った。話は5日ほど前にさかのぼる。13日に欧州選手権(ユーロ2024)の予選、コソボ対イスラエル戦が、彼らにとってのホーム、このファデル・ヴォークリスタジアムで行われた。10月にイスラエル軍とハマスの軍事衝突が始まってから、イスラエル代表が初めて行う試合であった。当該試合は10月15日に予定されていたが、戦争のために約1カ月延期されていたのである。試合はオランダリーグの「フィテッセ」で元日本代表の太田宏介とチームメイトだったエース、ラシツァがゴールを決めて1対0でコソボが勝利した。しかし、この試合でダルダネットはたくらんでいた。
「イスラエル軍がガザでやっていることこそが、テロじゃないか。子どもを殺すなんて許せねえよ。だから俺たちは、スタジアムで一泡吹かせてやろうと考えていた」
何をやるつもりだったのか、そこはシークレットということで、詳しくは語らなかったが、ゴール裏もしくはバックスタンドから、横断幕、コレオグラフィーなどを駆使してイスラエルに向けての抗議を行うつもりでいたのは確かなようだ。
「それが、まったく考えられねえ、厳重な検査を受けて、がんじがらめに規制されたんだ」
これまで、この地域のアルバニア系の権力者たちは、スタジアムに政治を持ち込むことをむしろ好んでいた。サッカーの国家代表戦にまつわるナショナリズムを広く利用してきたと言える。スタジアムにおける政治的なアピールを敢えて見逃して来た節さえある。例を挙げると、2014年10月に行われたセルビア対アルバニアの一戦では、スタンドにいたアルバニアのラマ首相の弟が、試合の最中にコソボとアルバニアとセルビア南部が合併した「大アルバニア図」の旗をドローンでピッチの上に飛来させ、公式戦をぶち壊した。
2018年6月のW杯ロシア大会セルビア対スイスでは、スイス代表としてゴールを決めたコソボ系移民2世のジャカとシャチリが、アルバニア国旗に描かれた双頭の鷲を表すポーズをとった。FIFAは、コソボ紛争で対立したセルビアの選手に対する政治的挑発であるとして、二人に各1万スイスフラン(約110万円)の罰金を科した。スイス代表として出場している選手が、アルバニアの民族的意匠を敢えて対立民族に向けて示したわけで、FIFAが問題視したことは当然とも言える。しかし、アルバニア政府やコソボのアルバニア人たちはこのペナルティに対して募金を呼び掛け、罰金金額を超える額を集めてしまった。FIFAが問題有りとして指摘した行為を肯定したと言える。
世界一の親米国家、コソボ政府の立場
このように、スタジアムでの過激な政治アクションに慣れているダルダネットのメンバーからすれば、よもや厳重なチェックが入るとは思いもしなかったというわけである。
「本国」
コソボのアルバニア系住民によるアルバニアの呼称。
「大アルバニア図」
アルバニア民族主義者が、「大アルバニア主義」(本来のアルバニアは、現在の領土にとどまらず、コソボ、ギリシャやマケドニアの一部も含むものであるという主張)に基づき好んで使用する、アルバニア、コソボ、ギリシャ、マケドニアの一部等の土地をひとつにまとめた図のこと。