マラはもう一人、慕う人物の名前をあげた。
「あとは英学さんですね。本当に初めてお会いしたときから自分のお兄さんという感じで接してくれました。僕がちょうど試合から外れたときに、ご自身が柏レイソル時代にメンバー外になられたときの経験から、メンバー外の振る舞いの重要さについて語って下さいました。例えベンチに入れなくても熱量をしっかり持ってやっていくということ。それが優勝争いに繋がるというふうに。実際、レイソルはそれで優勝するんですね。体験に基づいた、普通の言葉にない大事なものを伝えてくれているんだって感じました」

安英学さん(右)とともに
安英学が在籍した2011~2012年シーズンの柏レイソルは、J1昇格1年目でリーグ優勝という快挙を成し遂げ、天皇杯も制している。ベテランの域に入っていた英学はレギュラーから外れ、出場試合数も2年で8試合に留まったが、決して腐った態度を見せず、練習も一切手を抜かずに、工藤壮人、酒井宏樹、澤昌克ら若い選手を支えてきた。結果、レイソルの栄冠に大きく貢献している。
妹の活躍と安英学の言葉に刺激を受けたマラはプレーにおいて、自分の持っているスキルの原点に立ち返った。テクニックのある選手でないことは自覚している。まずはロングフィードで相手のライン間を間延びさせ、中盤につける浮き球のパスでリズムを作る。それが自分の長所であり、守備に関してはシュートストップは同世代では誰にも負けないという自負があった。
自分の長所を意識してプレーすることで、俯瞰的な視野も広がった。
「しばらくメンバー外の日々が続いていましたが、気持ちを吹っ切ってからは自分でもいい準備ができている感覚はあったので、何かチャンスは、あるとイメージしていました。そのタイミングで湘南ベルマーレから、練習に呼んでいただいたんです。そこでまた縁があって、自分がヴェルディユースにいたときにお世話になった油原(丈著〈たけあき〉)さんというキーパーコーチと再会することができて、また指導を受けることができました。自分のプレーを知っている人のコーチングでこのときは自分が想像していたよりもいいパフォーマンスができて、すごいいい感覚がつかめたんです。シュートを止められたし、ロングフィードでアシストもできました」
これで再起を果たすと、FC岐阜、テゲバジャーロ宮崎、FC今治、東京ヴェルディ、ベルマーレ、FC町田ゼルビアと立て続けに各Jリーグクラブの練習に参加して好感触を得ていく。
「特に印象に残っているのが、今治ですね。町の雰囲気もすごく良かったですし、外国籍の選手がすごく多いチームで国際色豊かで楽しかったです。岐阜もユニークな選手が多かったし、宮崎も若い選手が活き活きとプレーしていました。そんな中でJ1町田に呼ばれて行くんですが、とんでもなくレベルの高いチームというのはすぐに感じました。フォワード(FW)のミッチェル・デューク選手とオ・セフン選手は、特にパワーを持っていて、(ヘディングの)打点も高くて、Jリーグのトップクラスの選手だと思います」
――J1のチームで一気にレベルが上がったわけですが、自分自身、そのときのプレーにおいて、課題に思ったことは何ですか?
「セービングのところを伸ばさないといけないと痛切に思いました。スピードが上がると同時に、入ってくる球の種類も増えるんです。特にゴロのシュートで大学との違いがすごく出ていると思ったんです。浮き球はある程度取れるんですけど、ゴロが厳しかったです。圧倒的な速さに驚きましたが、やりがいみたいなものがあって、ここで揉まれたら自分はもっともっと成長できると思うと、嬉しさも感じる環境でした。町田には2度ほど練習に呼んで頂いたんですが、ラストの5日間で決めてやるぞという感じで頑張りました」
努力は実り、FC町田ゼルビアの一員となった。そしてマラに大きな影響と刺激を与えたイェーモンもまた、福島県郡山市をホームとするSVリーグ(ジャパンバレーボールリーグ)のチーム、デンソーエアリービーズからオファーが届き、2025年に入団を果たしている。
これも特筆すべきことだが、イェーモンもまたチームで背番号17を背負っている。そして兄妹揃って日本国籍の取得に動いている。
「そうですね。妹の方が入団は早かったですけど、彼女も17番を選びました。息子と娘が同時にプロになったので両親は本当に喜んでくれました。妹と一緒に国籍取得に動きだしたのは、2024年の夏ごろぐらいです。書類を集めるところからですが、一人でやると結構膨大な量になってしまって、なかなか大変なところもありましたけど、勉強にはなりました」
――ルーツが日本以外の子どもたちのためにも頑張りたいと入団会見で語っていましたが、その気持ちというのは、いつぐらいから持っていたのでしょうか?
「持ち始めたのは高校生のときですね。自分がサッカー選手として協会に2種登録(*2)されたタイミングで、いろんな人が応援してくれているというのに気づいたんです。大学に入ってからも、ほんとに先生はじめ様々な人によくしてもらいました。それはサッカーのコーチやチームメイトだけではなくて、伊勢原の地域の方々にもです。寮の食堂のおばさんも、僕が町田に行くので退寮します、と言ったら、目の前で泣いてしまうぐらい、別れを惜しんでくれました」
――すごく周囲の人に愛されているというのは、以前、寮に取材に行ったときにも感じていました。そしてFC町田ゼルビアでプロになってそろそろ最初のシーズンを終えるわけですが、昨年度のJリーグセーブ率1位だった谷晃生選手の存在もあり、まだ公式戦への出場が果たされていません。振り返ってみてどうだったでしょうか。
「そうですね。今年は、自分のサッカー人生の中でもとても自分らしい1年だと思っています。ヴェルディユースのときも大学生になったときも僕は最初から、頭抜けて活躍ができていたわけではないんです。こつこつと地道に積み上げてきたんです。いつも耐えて耐えて、冷静に境遇を受け入れて努力する。そうやって成長を自分で促してきたので、今もそのタイミングなのかな、と思っています。大切なのは自分の運命や状況を受け入れて、そこからどうするかです」
――現在の成長の度合いはどう感じていますか。
「ゴロのシュートには、まだ反応できないものもありますが、順応してだんだんプロのボールが取れるようになってきました。ひとつ上の段階に進めたかと考えています。プレーの中で味方をどう動かすかも考えて、テクニックやずるがしこさ、余裕を持つことも大事にしています」
ヴェルディユースからトップチームに上がれず、大学サッカーを進路に選んだときもそうだったが、マラはいつも自分の置かれた位置を正確に把握している。今をこんなふうに語った。
「プロになって自信を無くすこともありましたが、ようやく最近の練習試合の中で、上昇していくきっかけをつかむことができました。得意なプレーを出しつつ、味方の要求をネガティブでなく聞けたんです。要は集中力を向けるポイント、それが分かれば上がっていけると思うんです」
(*1)
チョーディン=大正時代、イギリス統治下のビルマ(現・ミャンマー)から来日したラカイン族(ミャンマー西部・ラカイン州の仏教徒のこと)の留学生。東京高等工業学校(現・東京工業大学)に在籍し、日本の学生に本格的なパスサッカーを教えた功績が認められ、2007年に日本サッカー殿堂入りしている。
(*2)
2種登録=Jリーグクラブの第2種チーム(通常18歳以下の選手で構成されるユースチーム)に所属する選手が、同じ所属先のトップチーム(第1種チーム)の公式戦に出場できるようにするための登録制度。