司法制度の日韓比較と、今後の課題
――海外の司法に目を転じて日本の現状を相対的に語ってもらいたいと思います。例えば隣の韓国。かつての韓国の司法というのはめちゃくちゃ政治的で、大統領が10年後に死刑囚になったり、その逆で死刑囚が大統領になったりしていた。それが段々と法整備されてきました。
竹内 ただ、韓国は確かに検察が強すぎるね。2024年に戒厳令を発令した尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領も元検事総長だし。検察権力が強すぎると、誰でも政敵をやっつけて自分が大統領になるってことができちゃうから。
――ただ、司法が機能し始めたなという気はしますよね。
竹内 そうそう。今の韓国司法は日本の司法より立派だと思います。追い抜かれちゃった。そもそも韓国の裁判所って、日本以上にキャリアシステムで、学生がすぐ裁判官になって、だんだん偉くなっていって威張るというかたちだったのに、ここ20年ぐらいでガラッと変わって、今では裁判官も弁護士経験者が多分、主流だと思います。
――そうなんですか。弁護士任官裁判官制度も先を行っていると。
竹内 弁護士任官、いわゆる「法曹一元」が、日本は追い越されて韓国がほぼ実現しています。元弁護士経験者しか裁判官になれないということになりつつあります。
――元弁護士しか、裁判官になれない。それは先進的だ。
竹内 裁判員裁判(国民参与裁判)だって韓国が先でしたからね。韓国が偉いなと思うのは、変わるときは本当に劇的にやる。日本みたいにああだこうだ、ここが心配だとか言って、改革に5年10年、時間かけているうちに手遅れになるようなバカなことをしない。国民性として私はすごく羨ましいと思う。日本人も見習わなきゃいけない。ダメなら別に、「失敗したらやり直せばいいじゃない」と思う。
――弁護士任官裁判官制度は日本でももっと活用されるべきですが、現状どうなのでしょうか。
竹内 弁護士任官でも私みたいな裁判官はなかなかいないですね。みんなおとなしくて、ちょっと物足りないというか。東京地裁でも立派な判決を出している後輩はもちろんいますが、いろんな発言をして本も書いてという人はいないし、むしろ裁判所に溶け込もうという意識が強すぎて、存在を消したいと思ってる人が多い。無名の裁判官の一人で良くてそれ以上は望まないと。私に言わせれば、それじゃ弁護士から裁判官になる意味がないじゃないかと思うんです。でもそういう人が多くて、またそういう人が採用されてるので、まだまだ弁護士任官が司法を変える力にはなっているとは言い難い。
――そうですね。竹内さんはほかにも現在の裁判官と検察官の人事交流の制度、いわゆる「判検交流」の問題も指摘されていました。裁判長が、国が被告となる訴訟を統括する法務省の訟務局長に人事異動したりする。裁判長がいきなり国の代理人に横滑りでは、司法の独立の観点から問題があると。具体的には東京地裁で行政訴訟を扱う「行政部」の裁判長だった春名茂氏が2022年に法務省訟務局長に就任して、東京新聞が「これはアンパイアが試合中に相手方の監督になるようなもの」と批判しました。他にも名古屋出入国在留管理局で死亡したスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんの事件を名古屋地検で担当した検事も同じく訟務局に異動しました。原発訴訟などは、あからさまに影響が出ているのではないかと思いますね。
竹内 そうですね。判検交流ももちろん良くない事ですが、最近の五大弁護士事務所と最高裁の関係も問題だと思います。
――それこそ、東京電力の原発訴訟で浮き彫りになりましたね。福島第一原発事故避難者訴訟で「国に責任はない」という最高裁判決を言い渡した菅野博之裁判長が、定年後に東電の代理人をしている五大弁護士事務所のひとつ、長島・大野・常松法律事務所の顧問に就いています。裁判官が東電の弁護をしている事務所に天下っていくとは、驚きました。
竹内 五大弁護士事務所と最高裁のあいだで交流されちゃうと、国と大企業を相手に訴訟を起こした場合、国には訟務検事がいるから勝てない。大企業を相手にすると最高裁判事は東京電力をはじめとしてそちらの味方だから勝てないという司法になっちゃうじゃないですか。私は弁護士からスタートしているので、弁護士は昔からクライアントの味方をして、時にはどんな手段使ってでも勝たせてあげるのが弁護士だという弁護士像が昔からあるのを見てきました。
――橋下徹とか自著でもそう書いていますね。
竹内 そうですね。でも新人の頃の先輩弁護士の中に、「いや、そうではない」ってことを教えてくれる人がいたんです。
――名古屋ですと、企業による過労死、過労自殺の問題を古くから扱ってこられた水野幹男さんとか? 水野さんは東大法学部で出てから日産自動車に入りますが、そこで臨時工の過酷な労働実態を見て弁護士に転身されたことで知られています。
竹内 水野先生もそうです。私が一番記憶に残っているのは宮道佳男という弁護士なんです。この宮道さんが新人歓迎会などに毎回来てくれて、そこで「弁護士は、負けるべき事件を勝とうとしてはいけない」と言うんです。「勝つべき事件は勝たなければいけない。負けるべき事件を勝とうとしてはいけない。負けるべき事件は美しく負けるのが弁護士だ」と。私の最初の16年間の弁護士時代にそのことを教えてもらったのです。「そうか、確かに、正しい弁護士というのは勝つことばかりを目指すんじゃなくて、社会的に正しい解決をどうやって図るかということをそれぞれの立場でやるのが弁護士なんだ」と。労働事件をやっていると、それが鮮明に出てくるんです。労働者側の味方で論陣を組み、交渉を申し入れると、使用者側には顧問弁護士がついて、使用者側の論理で弁護します。その労働者側の論理と使用者側の論理のどっちが正しいか、バチバチで裁判をやって、判決で勝ったり負けたりというのが労働裁判かというと必ずしもそうではなくて、結局多くの事件は和解でほどよいところで解決していくんです。それは当事者はカッカと熱くなってるけれども、大体この辺りが落とし所ではないかという共通認識が、実は双方の弁護士のあいだでできているんです。裁判官からも説得してもらって、着地点が見つかったときに和解で解決できるわけです。多くの良心的な労働者側弁護士、良心的な使用者側弁護士は、そうあるべきだと思っているので、一方的な戦い方はしない。
ただ、私たちの世代まではそういう認識があるんだけど、心配なのは、今の若手弁護士、新人弁護士たちにそれが分かっているかどうか。分かっていないとすると、今後、裁判の解決というのはものすごく難しくなってきます。心配なのは、司法修習生あるいは法学部生、ロースクール生がもうことごとく企業法務をやりたいという。バランス的にもあやういものを感じますね。

竹内さんの著書、『「裁判官の良心」とはなにか』(2024年、LABO)