こんな話を、ジャンボ機の機長から聞いたことがある。操縦は非常に難しくなるが、墜落することはなく、安全に着陸できるように訓練も受けているのだという。
バブル経済崩壊後の日本も、たった一つのエンジンで飛行していたと言えるだろう。
日本経済を巨大な旅客機と考えると、国内総生産(GDP)はその高度となり、これが増加していれば、経済成長率がプラスとなって好景気、反対に減少していれば、経済成長率がマイナスで不景気となる。旅客機を飛ばしているエンジンに相当するのが、①個人消費支出、②設備投資、③輸出入、④政府支出、の4項目で、この合計がGDPとなる。
バブル崩壊によって、日本経済は、個人消費も設備投資も大幅に減少、輸出は出力を維持していたが、輸入に相殺されて出力は弱まっていた。つまり、四つのエンジンのうちの三つの出力が低下、機体の高度がどんどん下がり、景気は悪化の一途をたどっていたのだ。コックピットの機長である政府は、最後に残った四つ目のエンジン「政府支出」のスロットルレバーを全開にし、旅客機が墜落して経済が崩壊するのを懸命に防いでいたのだった。
政府支出は、GDPの項目では「公的需要」という形で現れ、「政府最終消費支出」と「公的固定資本形成」が主な構成要素となる。「政府最終消費支出」は、政府の一般的な活動や社会保障などの支払い、「公的固定資本形成」は、道路や学校の整備といった、いわゆる公共事業が中心となっている。
「個人消費」や「設備投資」などのエンジンが弱まり、旅客機の高度が落ち始めると、コックピットの政府は、公共事業を大量に実施し、「政府支出」という四つ目のエンジンの出力をアップさせる。これによって、旅客機の高度を上げようとするわけだ。
政府支出を増やすことが景気拡大をもたらすことを「発見」したのが、イギリスの経済学者ケインズだ。
政府が、橋の建設といった公共事業などを増やすと、建設資材の売り上げが増え、作業をする人の雇用も増える。売り上げが増えた建設資材の販売業者は、新たに人を雇用することが可能となる。また、橋の建設で新たに雇用された人は、その給料を消費に回し、それが、様々な商品の売り上げアップに貢献する。
このように、公共事業を増やすと、そこで使われたお金が連鎖的に新たな需要を生み出し、景気を拡大させ、雇用を増やすことが可能だと、ケインズは考えたのだ。
「有効需要の原理」と呼ばれるようになったケインズの理論が登場するまで、政府支出に景気刺激の効果があることは知られていなかった。つまり、ケインズによって、旅客機の新たな操縦方法が開発されたというわけなのである。
新しい操縦方法の登場に、世界中の政府は大喜びした。景気が悪くなると、政府支出を増やしさえすれば安心だという風潮も広まった。そして、政府支出に全面的な信頼を寄せる人々を「ケインジアン」と呼ぶようになったのだ。
しかし、政府支出の増加による景気対策は万能ではない。公共事業は非効率な場合があり、一部の業者が潤うだけで、広範囲な景気拡大をもたらすものではないという指摘も多い。
また、「政府支出」というエンジンの出力を高めるためには、燃料、つまり財源が必要だ。政府が財源を増やすためには増税が必要だが、これは消費や設備投資を減少させる要因となる。つまり、「政府支出」というエンジンの出力を高めるために増税すると、消費や設備投資という他のエンジンの出力を減少させてしまう恐れがあるのだ。
このため、政府は、増税の代わりに借金、具体的には国債を発行して、燃料代を調達することになる。増えた借金は景気が回復した後に増税して返済すればよいと考えるのだ。しかし、政府支出によっても、十分な景気刺激効果が得られず、結果的に国の借金が膨らむばかりという事態に陥る場合もある。現在の日本は、まさにその状態にあると言えるのである。
「たった一つのエンジンで飛ぶなんて、本当の緊急事態の場合だけ。そうならないようにしないと…」。ジャンボ機の機長は言う。「政府支出」というエンジンで機体を支えるのは、緊急避難的な操作であり、長く続けるべきではない。
景気拡大のために政府支出を多用することは、経済活動の効率を下げ、財政を悪化させるなど、国の経済力を下げる副作用があることを、十分に認識する必要があるのだ。