「本当に治ったんだろうか……」。入院中の知人は、不安そうだった。猛烈社員だった知人が突然の病に倒れたのは10年ほど前で、それ以降は入退院を繰り返してきた。病状を示す検査数値は最悪期を脱したものの、主治医が掲げていた「目標値」には届いていない。こうした中、主治医が突然「数値は目標値以下だが、全体的な状況は回復している。退院しましょう」と言い出したという。主治医の「完治宣言」はうれしい反面、検査数値は依然として目標値以下であることが不安材料なのだという。
同じような宣言が、日本経済にも出されるかもしれない。「脱デフレ宣言」だ。日本経済はバブル崩壊を契機に、デフレーション(デフレ)という病気に侵された。デフレは経済の「低血圧症」で、物価が継続的に下落し、経済活動を冷え込ませてしまうというもの。病状を示す代表的な数値が消費者物価指数で、「主治医」である日本銀行の黒田東彦総裁は、治療目標を「消費者物価指数+2%」とし、異次元の金融緩和やマイナス金利導入など、強力な治療を打ち出してきた。しかし、その効果は限定的で、目標達成は程遠い状況にある。そうした中で、ささやかれ始めたのが脱デフレ宣言なのだ。
脱デフレ宣言は物価の下落傾向が止まり、日本経済が本格的な回復軌道に乗ったとするもの。デフレという病が完治したというわけだが、消費者物価指数(=血圧)は目標を下回っている。検査結果からは完治と言えないにもかかわらず、脱デフレ宣言をする根拠には、好調な日本経済の実態がある。経済成長率は低いながらもプラス成長を継続中で企業収益も高水準、雇用情勢は人手不足が深刻になるほど改善し、株式市場や不動産価格もバブル期を思い起こさせる上昇を見せている。血圧以外の検査の結果は良好で、日本経済はデフレを克服して、健康体になっているというのだ。
もしそうであるとするなら、現在のデフレ対策は、大きな副作用を生み出す。デフレ対策は血圧を引き上げようとするもの。もし、デフレが治っているのに血圧を上げる治療を続ければ、反対にバブルという「高血圧症」になる恐れが出てくる。経済状況を示すのは消費者物価指数だけではないので、この数字にこだわりすぎるのは危険だ。
また、現在の消費者物価指数がそもそも理想的だとの指摘もある。物価上昇率が低いということは、生活者にとって望ましいこと。デフレが問題になるのは、物価の下落が経済活動の低迷を生み出し、それがさらなる物価下落をもたらすというデフレスパイラルに陥っている場合だ。経済状況が好転を続ける中で、物価上昇率が低いのは、素晴らしいことで、病気ではないという。
消費者物価指数が目標以下でも、日本経済全体としては健康体になったとして、デフレ治療を終えようというのが脱デフレ宣言だが、これによって金融・財政政策も一気に変わることになる。もし、本当に治っていなければ、再び血圧が急降下してデフレスパイラルに落ち込む恐れもある。
退院した途端に、また倒れるのではないのか……と、知人は不安そうだったが、顔色も良く私には健康に見えた。日本経済もデフレという病を克服したと宣言し、治療を打ち切っても良いのか? 本格的な議論が始まっている。
脱デフレ宣言
[De-deflation declaration]