「建て替えの合意が取り付けられない」と嘆くのは、マンションの管理組合の理事長を務める知人だ。知人の分譲マンションは老朽化が進んでいて、建て替えが検討されている。しかし、「補修で十分」という声も根強く、何度住民総会を開いても、建て替えに必要な5分の4以上の賛成が得られない。業を煮やした知人は、各戸を個別訪問して直接交渉を始めたが、さらに個別の要求を突き付けられて、意見集約が進まないという。
同じような事態が通商交渉の場でも起こっている。通商交渉の目的は貿易の自由化や円滑化で、これによって経済発展を実現しようとするのだが、各国の利害が激しく対立するものでもある。その進め方の一つが「マルチラテラル」(略して「マルチ」)だ。3カ国以上で行われる「多国間交渉」で、アメリカ・カナダ・メキシコによるNAFTA(北米自由貿易協定)から、TPP(環太平洋経済連携協定)やAPEC(アジア太平洋経済協力会議)、WTO(世界貿易機関)で行われるものなど、数十カ国から100カ国を超えるものもある。マンションの住民総会のように、多くの参加国が一堂に会して、関税や貿易のルールを決めていくのがマルチラテラルなのだ。
これに対して2カ国が個別に交渉をするのが「バイラテラル」(略して「バイ」)。日本とアメリカ、アメリカとメキシコ、中国と韓国といった具合に、二つの国が膝を交えて交渉を行い、自動車や半導体、繊維やコメといった個別分野で行われることもある。住民総会ではなく、マンションの住民を個別に訪問して交渉するのがバイラテラルであり、要求をぶつけ合い、妥協点を見出して行こうとする。
マルチラテラルとバイラテラルという通商交渉の方法には、一長一短がある。バイラテラルの場合、経済力の強い国が自国に有利に交渉を進める恐れがあり、経済力の弱い国は不利な立場に置かれることがある。しかし、マルチラテラルなら、強国同士がけん制し合ったり、弱小国が団結して戦ったりすることも可能だ。これによって、各国の利害が平準化される上に、広範囲の貿易自由化も期待できる。しかし、マンションの住民総会同様に、合意が形成しにくく、交渉が長期化(「漂流」とも呼ばれる)することもしばしばだ。これに対してバイラテラルは、利害の調整がしやすいものの、不公平な結果になる恐れに加えて、合意が2カ国に限定されるため、世界規模での貿易自由化に直結しないという欠点がある。
戦後の通商交渉は、緩やかながらもマルチラテラルを指向してきたが、アメリカのドナルド・トランプ大統領の登場によって、状況が大きく変わった。「アメリカ・ファースト」を打ち出しているトランプ大統領は、マルチラテラルでは、自国の利益を確保できないと考えている。そこでトランプ大統領は、TPPから脱退、NAFTAについても見直しを進めるなど、バイラテラルへ移行しようとしている。トランプという管理組合の理事長は、住民総会を開かずに、住人の部屋を訪れて、「建て替えに合意しろ!」と迫っているわけだ。こうした強引なやり方は、「ユニラテラル(Unilateral)」と呼ばれるが、これによって各国の間に不公平感が高まり、世界経済にマイナスに作用する恐れがある。トランプ大統領という強面の管理組合理事長の暴走をどうやって止めるのかが、世界経済というマンションの住み心地を左右するのである。
マルチラテラル/バイラテラル
[Multilateral : Bilateral]