それが被爆後も生きてあれだけのものを書いたというのは、生命を持ちながら新たに生まれ変わることで、とてつもなく強くなった人なのだと思うのです。おっしゃるように、彼の思いが命からいのちへと移ってゆくのも、必然だったのではないでしょうか。
中島 この「弱さ」というのも、「いのちの政治学」における重要なキーワードです。というのは、今のような危機のときには、どうしても「弱い存在」が見えなくなっていくからです。たとえばホームレス状態にある人、難民や在日外国人……。その人たちに十分な情報が行き渡っているのか、居場所は確保されているのかといったことが、危機の中で見えなくなってしまう。そこに目を向けるためには、「自分たちはみな弱い」ということを前提にしなくてはならないと思うのです。
私たちは誰しも、赤ん坊のときには母親の乳房にしゃぶりつかなくては生きられなかったし、ある年齢になれば誰かに支えてもらわなくては生きていかれなくなる。あるいは、どんなに金持ちであっても、実は非常な孤独を抱えているということもあります。つまり、強者のように見えたとしても、それは「たまたま今、ある側面において強い」ということであって、強者と弱者は背中合わせの存在にすぎないわけです。
そのことを常に自覚して、普遍的な弱さという前提に立つことで、他者の弱さが見えてくる。それが、社会の中に分断を生まないための非常に重要な方法だと思います。
若松 人が弱さを自覚するのは、誰かに「助けられた」ときだと思います。自分が助ける側に立っているときは自分の弱さは見えなくて、助けられる立場になったときに初めて世界が違って見えてくるし、自分が助けるべき人のことも見えてくる。今、人を助けることも大事だけれど、「助けられる」ことも私たちにはとても大切な経験だと思うのです。
だから、今の政府が常に「自分たちが国民を助けてやる」という態度であることがとても気になります。本当は、リーダーこそ「弱い」人、「助けてもらう」ことのできる人でなくてはならないと思うのです。弱いからこそ支えようとする人が出てくるのであって、強いことを誇りにするリーダーは絶対に孤立していくのではないでしょうか。
中島 知らないことに出合ったときに「分かりません、教えてください」と言えたり、自分の失敗を率直に認めたりできる、自分の弱さを見せられる人のコトバこそが、人の胸を打ちます。そういう人は、弱いからこそ本当の意味で「強い」のだと思うのです。
若松 弱さを自覚することなく、他人を助けることはできないと思います。弱さを見せられない人が他人を助けたとしても、それは「施し」になってしまう。私たちがやらなくてはならないのは、施しではなくて「共有」なんだと思うのです。
だから、今、やるべきことがあるとすれば「弱くあることから学ぶ」ことに尽きると思います。
たとえば今、私たちは仕事をしたくてもなかなかできない状況にある。でも、コロナのことがなくても、病気や家庭の事情などで働きたいけれど働けないという人たちは一定数いたわけです。それが当たり前なんだ、私たちはそういう人たちとともに生きているということを、多くの人が実感できるといいと思います。
中島 そうですね。自由に外出できないという状況になって初めて、たとえば重度障害のある人が世の中をどういうふうに見ていたのか、その一端を私たちは感じられるようになったわけです。その地平を拡大させたいですね。
若松 最近、出かけるとき、マスクを手に取ったときなどに、よく福島のことを思います。すごく天気がよくて気持ちのいい日なんだけれど、マスクを付けた瞬間にその光景が一変して見える。ああ、福島の人たちはずっとこういう日常で生きていたのか、と感じる。今の危機的な状況になって、やっと私たちはほんの少しでも、彼らの痛みを共有できるようになったのかもしれません。そこからも学びたいと思っています。
ファシズムが破壊しようとするもの
若松 私が「弱さ」とともに重要だと思うのは「小さくあること」です。私たちは、万人を救うことはできません。気持ち的にはそうしたくても、能力も、行動範囲もいつもより狭まっている。その中で、この危機を切り抜けるためには、小さく深くつながっていくしかないのではないか。小さくて強い共同体をつくり直して、それをさらにつないでいくしかないと思うのです。
このコロナ危機の中で、アルベール・カミュの『ペスト』が非常に読まれているそうですが、あの小説におけるペストは、ファシズムのメタファーでもあります。
今の日本は「伝染病」とファシズム、両方の意味において、物語に描かれている状況とそっくりだと感じました。 だから今、ファシズムが破壊しようとするものを守ることが非常に重要になっていると思うのです。
たとえばハンディキャップのある人たち、芸術、人種の交わり、そして小さな共同体。そういうものをファシズムはとても嫌った。だから、それらを守ることはそのまま、ファシズムに抵抗する力になるんだと思うのです。
『ペスト』の原型ともいうべき作品に『ペストのなかの追放者たち』(宮崎嶺雄訳)という短編があります。ここでカミュは、結局ペストが人間にもたらしたのは、「別れ」、「別離」だったとも書いています。ここでの「ペスト」も、やはりファシズムのメタファーですから、「別れ」の中には、誰かが亡くなったり、会いに行けなくなるといった物理的な別れだけでなく、価値観の対立といったこともおそらく含まれる。私たちは今、そういう状況に直面しつつあるんだということが、もっと共有されるべきだと感じています。
石牟礼道子
いしむれ・みちこ。1927~2018。作家。熊本生まれ。水俣病への関心を深め、患者たちの代弁者として『苦海浄土 わが水俣病』(69年)をまとめあげる。『苦海浄土』の連作を加筆し、04年「石牟礼道子全集」に収載。その他、『十六夜橋』、『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』などの作品がある。
原民喜
はら・たみき。1905~51。作家。広島生まれ。慶應義塾大学卒。44年に妻が病死。45年広島に疎開し、被爆。被爆体験をつづった『夏の花』を47年に発表。51年に鉄道自殺。代表作に『災厄の日』『心願の国』などがある。