中島 『ペスト』には、病原菌──つまりファシズムに対して、逃げる人も迎合する人も、いろんなタイプの人が登場するのですが、その中で「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」(宮崎嶺雄訳)という言葉が登場します。あれはとても印象的でした。今の状況下でも、誠実に生きるということの延長上に、ファシズムへの抵抗があるのではないかという気がしています。
もう一つ、今の日本の状況と重なると感じる本が、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』です。ナチスの台頭に至ったドイツの状況を考察した本ですが、ここにも現在日本で起きている問題が描かれていると思います。
つまり、ナチス以前、ワイマール政権下のドイツでは、非常に民主的な憲法のもと、すべての人々に広く自由が認められました。しかし、そうして自由が与えられたことによって、人々は逆に権威を求め始める。自分たちで何もかもを決めるのはもう疲れた、誰かが決めてくれたほうが楽だという考えが広まっていき、やがてナチスの台頭へとつながっていく。自由であるがゆえに自由から逃げてしまう、という構図ですね。
非常事態宣言を待ち望む声の多さなどを見ても、不安に耐えきれず、誰かが強い言葉によって私たちを仕切ってほしいという空気が、今の日本にも漂っているように感じます。でも、そうした空気がファシズムを招き寄せたことは、歴史が証明している。私たちは、それとは違うかたちのリーダーを生み出さなくてはならないんだと思うのです。
若松 それがまさに、先ほど話に出た「弱いリーダー」なのではないでしょうか。
中島 そのとおりです。弱さを見せられる、「私は弱い、だから一緒にやっていこう」と言えるリーダーこそが今、必要なんだと思います。
いのちとつながる政治を取り戻すために
中島 今、この危機的な状況において、検査体制が整わない、医療現場が疲弊している、思い切った経済政策が打ち出せないなどの問題が山積しているのは、明らかに日本が「小さな政府」を志向してきた結果だと思います。合理性を追求する新自由主義のもと、さまざまなものを切り捨ててきた末に、私たちはこれほどまでに危機に弱い体制をつくりあげてきてしまったわけです。
小さな政府というのは、福祉などをアウトソーシングすると同時に、責任もアウトソーシングしてしまうということなんですね。自分たちで全部決めてくれ、政府は責任を取らないよ、という体制なわけです。イベントを自粛しろとは言われるけれど、何の補償もないからリスクはすべて自分たちで負わなくてはならない。それでは生きていけないから自粛せずに開催しようとすると「危機感が足りない」と罵倒されてしまう。国民と政府との間には、信頼関係がまったく成り立たない。それが、小さな政府を追求してきた末の現状なんですよね。
若松 これは、福島第一原発事故のときも感じたことですが、新型コロナウイルスによって新たなリスクが生まれたわけではありません。以前からあったリスクが、コロナによって露呈したにすぎない。
もともと原発は危険だったけれど、その危険性が東日本大震災によって露呈した。今回も、もともと医療体制などが脆弱だったという現実を、新型コロナウイルスが露呈させたわけです。ともすると、「日本の医療には十分なキャパシティがあったけれど、これだけ流行が拡大してくると足りなくなる」という話にすり替えられがちですが、そこははっきりさせておかなくてはならないと思います。
この状況が「小さな政府」の結果だというのも、まったく同感です。その象徴ともいえるのが、私は図書館だと考えているんです。
図書館は、本来は単に本を貸し出すだけではない、「避難所」としての役割もあったはずなんです。事実、夏休みが明けた9月1日には、教室に行けなくて図書館に「避難」する子たちがたくさんいる。そこまでいかなくても、嫌なことがあったときに図書館に行って本を読んでいたなんていう経験は誰にでもあると思うのです。
その図書館をすら、この国は民間にアウトソーシングし続けてきました。結果として、「頼まれたら本を出して渡す」だけの、機能的なコインロッカーみたいになってしまった図書館が少なくありません。一方で逃げ場を失って、自ら命を絶ってしまう子どもたちもいます。
いのちの視点から見ればとても大事なものが、「無駄」だとして効率に置き換えられてしまう。そういう意味で、図書館の現状は今の危機的な状況とも密接につながっているのではないかと考えています。
中島 こうした状況を変えるためには、やはり「いのち」とつながった政治を取り戻さなくてはならないのだと思います。そのための知恵を歴史から見出したい、過去のリーダーや政治家の言動に学びたいというのが、この対談の趣旨です。
たとえば、次回ではまず聖武天皇を取り上げたいと考えています。奈良の大仏を建立した人として知られていますが、あの大仏は単に「大きなものをつくりたい」というだけでつくられたものではありません。疫病の流行が続き、ものすごい勢いで人が亡くなっていく、遷都を繰り返したけれども状況はいっこうに改善されない……そのときに聖武天皇がやろうとしたのは、「みんなで心の中に大仏をもとう」ということ。まさに「いのちを守ろう」ということだったのだと思います。
さらに、それに呼応して大仏建立などの工事を担った仏教僧、行基のことも取り上げたいと考えています。彼らもまた、一方的に国民に命令をするのではなく、ともに厄災に向き合っていこうとする「弱いリーダー」だったのではないかと思うのです。
若松 聖武天皇の意を受けて動いた行基の下には、さまざまな民衆がいたはずです。中には、罪を犯したりして世の中から排斥されていた人もいたでしょう。そういう人たちが、行基を「扉」にしながら天皇とつながって、世の中を支え、社会を変えていった。
石牟礼道子
いしむれ・みちこ。1927~2018。作家。熊本生まれ。水俣病への関心を深め、患者たちの代弁者として『苦海浄土 わが水俣病』(69年)をまとめあげる。『苦海浄土』の連作を加筆し、04年「石牟礼道子全集」に収載。その他、『十六夜橋』、『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』などの作品がある。
原民喜
はら・たみき。1905~51。作家。広島生まれ。慶應義塾大学卒。44年に妻が病死。45年広島に疎開し、被爆。被爆体験をつづった『夏の花』を47年に発表。51年に鉄道自殺。代表作に『災厄の日』『心願の国』などがある。