フィリピン政府は2月11日、共同訓練などで同国を訪問した米兵らの法的地位について定めた「訪問米軍地位協定」(VFA)の破棄をアメリカ政府に通告したと発表した。同協定は当事国のいずれかが破棄を通告した日から180日後に失効すると定められており、このままいけば同協定は8月に失効する。
地位協定によって米軍関係者に充分な法的保護が確保されない限り、外国に派遣するべきではないというのが、アメリカ政府の基本方針である。VFAが失効すれば、米軍は兵士をフィリピンに派遣できなくなる。8月までにフィリピンが破棄を撤回するか、現在のVFAに代わる新たな協定が結ばれない限り、これまで実施してきたフィリピン軍と米軍の共同訓練もできなくなる可能性が高い。
蓄積していた不平等な地位協定への不満
フィリピンのドゥテルテ大統領がVFAの破棄を決定した理由は、米上院が1月にフィリピン政府の麻薬撲滅作戦における「超法規的殺人」を非難する決議を採択したことや、麻薬撲滅作戦を指揮したデラ・ロサ元国家警察長官(現・上院議員)のアメリカ入国査証の発給が拒否されたことにあるといわれている。
一見唐突にも映る今回のVFA破棄だが、フィリピン国内では主権を侵害するこの協定への不満がずっと燻っていた。
たとえば、フィリピンの上院下院合同でつくるVFA監視委員会は2006年1月、政府に現行VFAの破棄と新協定の交渉開始を求める決議を採択している。2005年11月に発生したフィリピン人女性に対する集団レイプ事件で、容疑者の海兵隊員らの身柄引き渡しを米軍が拒否したことがVFAに対するフィリピンの人々の不満に火を点けた。
VFAでは、犯罪の容疑者とされた米兵らの身柄は裁判が完了するまで米側が確保するとされている。フィリピン側が身柄の引き渡しを要請した場合には、米側は「これを十分に考慮しなければならない」とも定めてあるが、要請に応じる義務はない。日米地位協定やNATO地位協定では容疑者の米兵の身柄の引き渡しは「起訴時」とされており、フィリピンの人々が不平等な扱いに不満を抱くのは当然と言えよう。
2014年にトランスジェンダーのフィリピン人女性が米海兵隊員に殺害された事件でも、米側は容疑者の身柄引き渡しを拒否した。一審で有罪判決が下された後は、身柄がフィリピン側に引き渡されたが、拘置は通常の拘置所ではなくフィリピン国軍本部内の特別施設で行われるという“特別待遇”であった。
このように、フィリピン国内で集団レイプや殺人などの凶悪犯罪を起こした米兵を逮捕・拘禁することすらできない屈辱的なVFAに対する不満は、事件が繰り返されるたびにフィリピンの人々の中に蓄積されていったのである。
改正によって主権を確立してきた歴史と伝統
私が今回のフィリピンのVFA破棄を単なる「過激な大統領の暴走」と切り捨てることができないのは、アメリカとの同盟関係の中にあっても従属的な地位に甘んじることなく、独立と主権の確立のために不断の努力を重ねてきたフィリピンの長い歴史と伝統があるからだ。
かつてアメリカの植民地であったフィリピンは第二次世界大戦後の1946年に独立した。しかし、アメリカはフィリピン独立後も米軍の駐留を継続し、東南アジア地域における軍事プレゼンスを維持しようとした。そのために1947年にフィリピンと軍事基地協定を結び、99年間にわたり、米軍に基地を提供することを約束させた。
その後、フィリピンは自国の主権を確立すべく粘り強くアメリカと交渉を続け、何度も改定を実現している。
1959年の改定では、アメリカが戦闘作戦行動のために基地を使用する場合や長距離ミサイルを配備する場合には、フィリピン政府との事前協議が義務付けられた。1965年の改定では、米兵が公務外で起こした刑事事件については、フィリピン側が裁判権を行使することが認められた。そして、翌1966年の改定では、2046年まで(1947年から99年間)だった軍事基地協定の有効期間が1991年まで(1966年から25年間)に大幅に短縮された。
最も大きな改定は1979年に行われた。この改定では、米軍基地にもフィリピンの国家主権が及ぶことが明記され、基地内では原則としてフィリピン国旗のみが単独で掲揚されることになった。さらに、米軍の軍事行動を妨げないことを条件に、各基地の管理はフィリピン軍司令官が指揮することになった。また、5年ごとに軍事基地協定の全面的見直しを行うことも合意された。このように、フィリピンは協定の改定を重ねることで、米軍の治外法権的特権を一つひとつ取り除き、フィリピンの主権を確立していったのである。
その後、100万人を超える群衆が首都マニラのエドゥサ通りを埋め尽くした1986年の「ピープルパワー革命」でマルコス独裁政権が倒されると、憲法が改正され、外国軍隊の軍事基地が原則として禁止された。
上院で承認された条約による場合はその限りではないとされたため、フィリピン政府とアメリカ政府は1991年で期限切れを迎える軍事基地協定に代わる条約に調印するが、フィリピンの上院は条約の批准を否決した。これにより、フィリピン国内に駐留していた米軍は撤退し、基地はすべて返還された。
こうした軌跡をたどれば、フィリピンは日本よりはるかに主体的に同盟国アメリカと向き合ってきたことが分かっていただけると思う。突発的に見える今回のVFA破棄だが、その土台には、アメリカに対して正々堂々とフィリピンの主権を主張し、実際にそれを獲得してきた歴史と伝統があるのだ。
アメリカは中国の海洋進出を抑止できない
フィリピンがVFAの破棄という思い切った行動に出た背景に、安全保障でアメリカにそれほど頼れないというドゥテルテ大統領の考えがあるのは間違いない。
現在、フィリピンにとって安全保障上の最大の脅威となっているのは、中国の海洋進出である。
そもそも、1998年にVFAが締結されたのも、1995年に中国がフィリピンの排他的経済水域(EEZ)内にある南沙(スプラトリー)諸島のミスチーフ環礁に突如として「中国漁民のための避難施設」を建造し、占拠したからであった。こうした中国の行動をけん制するために、フィリピンとアメリカは米軍基地の撤去で弱まった同盟関係を再び強化しようとしたのである。
中国は2014年以降、フィリピンも領有権を主張する南沙諸島の7つの岩礁を埋め立てて「人工島」を建設している。滑走路や港湾施設も整備し、そこに軍用機や軍艦を展開させて南シナ海における軍事的プレゼンスを強化している。
これに対抗すべく、フィリピンが2018年末から南沙諸島のパグアサ島で滑走路や港湾施設の改修工事に着手すると、中国は大量の漁船とそれらを護衛する名目で海警局巡視艇や海軍艦艇を同島周辺海域に送り込んでフィリピンを威圧した。
ドゥテルテ大統領は、こうした中国の行動に対して、アメリカとの同盟関係はそれほど役に立たないと見ている。
ドゥテルテ大統領は19年4月21日にカバドバラン市で行った演説で、2012年に中国の実効支配を許した「スカボロー礁事件」の例を挙げ、「アメリカは(中国との戦争に巻き込まれるのを)恐れていた。彼らは、こんな小さなものをめぐる戦争には価値がないことを知っていた。もし中国が攻撃してきてアメリカが我々を助けようと決断したら、世界戦争を引き起こすかもしれないからだ。核戦争になれば、世界には何も残らない」と語った。