殿垣くるみ(聞き手) 他国では、地位協定改定をどのように実現していったんですか。
布施祐仁 アメリカが地位協定を結んでいる国は、世界中に100カ国以上あります。ドイツや韓国、フィリピンなどの国では、いずれも地位協定の改定を複数回実現しています。
何が地位協定の改定につながったのかというと、一番の要因は国民の世論、国民運動です。国民運動を背景に、政府がアメリカに対して強く交渉し(改定を実現し)ています
アメリカがドイツや韓国、フィリピンに基地を置くのは、自国の国益にかなうためですから、基地がなくなってしまうと困ります。その基地を維持するためには、(駐留先の)国民の理解を得なければなりません。国民の反発が強まってきたら、(アメリカは米軍の駐留特権について)譲歩せざるを得なくなります。そういう力学の中で、国民運動が大きく盛り上がったり、世論が高まったところでは、地位協定の改定が実現しています。
ちなみにドイツの場合、一番大きな転機になったのは、東西ドイツが統一した時です。この統一によって、第二次世界大戦以降の、戦後レジームが終結しました。いわば、「戦時」から東西分断という「準戦時」、そして統一によって初めて「平時」になった。「戦時」における地位協定と、「平時」における地位協定とは、当然違うものでなければいけません。その機会をとらえて、主権国家として対等な形となるように改定を実現したのです。
では、日本はどうなのか。日本は、(沖縄を本土から切り離したという問題はありますが)法的にはサンフランシスコ講和条約が結ばれた段階で主権を回復し、「準戦時」つまり占領状態から、「平時」になりました。それにもかかわらず、地位協定は実質的に変わらず、今日まで続いています。つまり、「平時」に見合った地位協定に変えなければいけなかったのに、ずっと戦後レジーム、占領時代の日米関係が続いているというところに、大きな問題があると思います。